バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。ライバルで盟友だった〝破壊王〟こと故橋本真也さん(享年40)の恩師と対面した様子を公開した。
小川氏は橋本さんが2005年7月に急逝してから、折に触れて破壊王が眠る岐阜・土岐市の墓所に墓参りしてきた。岐阜周辺で少年柔道大会などがあれば足を運んだというが、今回は橋本さんの柔道時代の恩師、高塚正敏氏の元を訪れた。
橋本さんの墓参をするため高塚氏に連絡を入れ、土岐市の高塚整骨院を訪れた小川氏は動画内で「高塚先生は破壊王の親代わりだった人。先生が開いていた柔道教室で、破壊王は柔道をスタートさせた」と説明した。
橋本さんの父親代わりだった高塚氏は「中学校入る際には『カッコいい』とブラスバンド部に入るつもりだった。だけど、『170センチ、70キロくらいのやつがおるで』と聞いたので、『連れてこい』と言って無理やり(柔道部に)入れた」と意外な秘話を披露した。ところが橋本さんは入門初日に30分遅刻してきたといい「30分正座です」(高塚氏)。小川氏も「それは仕方ない…」とやんちゃだった橋本さんらしい逸話に笑いが止まらない。
高塚氏によると「沢田研二が好きだった。よくマネをしていた」と、橋本少年はジュリーの大ファンだったとか。中学3年時には180センチ、90キロあり、柔道では県大会で決勝まで勝ち上がった。高塚氏は「馬力があった。球技に関するスポーツは一切ダメだったけど、格闘技の才能はあった」。橋本さんが中京商業高(現・中京高)1年時には母親が急死した。高塚氏は「あいつは救急車まで自分のお母さんを抱えて連れて行った。かわいそうだった」と打ち明ける。
中学3年から故アントニオ猪木さんに憧れ、自宅にはサンドバッグを設置。自室には猪木さんと極真空手創始者の故大山倍達さんの写真が部屋中に貼られ、高塚氏は「柔道の写真は1枚もなかった」と苦笑い。高校時代にはインターハイ予選で、後の柔道世界2階級制覇王者でバルセロナ五輪銅メダルの岡田弘隆氏に敗れた。すると橋本さんは高塚氏に土下座して謝罪してきたという。
なぜか。「高校1年でお母さんが亡くなって、おばあちゃんと妹しかいない家を守らなければならないと、部活をやらず半年くらい(柔道から)離れた。それで学校から『特待生を外す』と言われた」という高塚氏は、学校に掛け合い、橋本さんを柔道に戻した。橋本さんもその「ブランク」を悔いており、謝罪したのだ。
高校卒業時にはプロレス入りの他に、自衛隊の試験にも受かっており「だいぶ迷っていた。自衛隊からも勧誘されて逃げ回っていたので『プロレスに行くなら、しっかり自衛隊を断ってこいと。きちんと返事しないと、プロレスにも行けんぞ』と」と筋を通させた。橋本さんはこれで正式に自衛隊を断り、プロレス入りを決めたという。
新日本プロレス入門時には、高塚氏がスーツを新調した。上京前には高塚氏の自宅を訪れ「玄関先でワーワー、泣くんですよ。あの姿は今でも頭に浮かんでくる」と振り返った。
橋本さんは後年、テレビ番組の企画で失踪していた父親と対面した。橋本さんから相談された高塚氏は「後で後悔するぞ」と背中を押したが、再会の前には橋本さんから「本当の親父は先生ですからね」と電話で伝えられ「あのひと言は本当にうれしかったですね」。これには小川氏も「素晴らしい」とうなっていた。












