【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(15)】大仁田さんが1995年5月5日の川崎球場大会で引退。新生FMWは5月17日の埼玉・深谷市民体育館大会でスタートしましたが、会場に入ると、お客さんの入りがガクッと減っていました。まさかここまで目に見えた形で感じるとは思ってもいませんでした。「大仁田さんの存在がいかに大きかったか…」と思い知らされたことは、今でも覚えています。
それまで大仁田さんの引退ツアーなどでは集客を心配することはなく、選手は試合に集中することができました。集客は営業の方や会社のスタッフの仕事でしたが、初めてお客さんが少ない会場を見てからは「今日はどれだけ来ていただけるのか」が気になって、試合前に会場をのぞくようになりました。
新生FMWの選手同士で集まり、大仁田さんが抜けた大きな穴をどう埋めていくか、どういった方向性でやっていくかという話し合いもありました。ハヤブサ選手が中心になって、デスマッチが主だったFMWのカラーを変えていこうとなりました。ハヤブサ選手は「あえてデスマッチを封印しよう」と。レスリングを中心のものに切り替えていくという考えでした。実際、ハヤブサ選手がザ・グラジエーター(※1)、大矢(剛功)選手らが激闘を繰り広げてくれたことで新生FMWの路線が大勢のファンの方たちに浸透しました。
ハヤブサ選手こと江崎英治さん(※2)は、大仁田さんが敷いたデスマッチ路線のFMWを自分がエースとして引っ張っていくことに、すごいプレッシャーがあったと思います。それを私たちには絶対に見せず、いつも明るくおちゃめに振る舞ってくれました。そういうところで、私たちは「この人をエースとして支えていかなければ」という気持ちになりました。
私にもプレッシャーはありましたが、新しいものをつくり出す楽しさも感じていました。集客の心配はあっても「自分のやりたいものをつくり上げていくときだ」と思い、一からつくり上げる楽しさを感じていました。新生FMWは男子選手たちがハヤブサ選手を中心に華麗なレスリングで魅了していく中、私は逆に「デスマッチの火を消したくない」とFMW女子はデスマッチの方向に行こうと傾きました。
デスマッチに軽々しく手を出してはいけないという気持ちはありましたが(シャーク)土屋と前泊(よしか)が有刺鉄線などデスマッチのアイテムを持ち出すという流れがありました。デスマッチは今までのFMWで絶対的な象徴。その領域に土屋と前泊が踏み出したことで、デスマッチは私が死守したい!という決意を芽生えさせるキッカケとなりました。
※1 2007年2月に死去。享年42。
※2 16年3月に死去。享年47。













