【デスマッチ女王 工藤めぐみ伝説 邪道姫40年目の激白(14)】大仁田さんの引退試合直前には、ターザン後藤さん(※)が退団しました。1995年4月21日の後楽園大会で会場に行くと「後藤さんが来られていない」と聞きました。みんな何が何だか理解できず、それが臆測なのか、本当の話かわからなくて。ただ、後藤さんが試合に来られなかったのは事実でした。
当時、女子の練習は後藤さんがご指導してくださり、女子の対抗戦にも同行し、アドバイスしていただいていました。選手会長でもあり、すべてにおいて後藤さんのもとで行われていたので、前触れもなく、退団とは信じられなかったです。FMWでは選手であっても驚くことばかりでしたから「今回もその一つなのかな」と半信半疑でしたが、後藤さんは他団体に移籍。その事実でようやく納得できました。
後藤さんは本当に厳しい方でした。全日本女子プロレス出身の私とは考え方でぶつかり合うことが多かったです。プロレスのあり方や捉え方で反する部分が多く、いろいろお話をする機会がありました。私と(コンバット)豊田は時間をもらい、意見を聞いていただいたこともあります。後藤さんは全日本プロレスで育ち〝王道プロレス〟の極意を体感された方。私にも全女で教わってきたものがあります。でも同じプロレスでも男女で一致しないことが多いですし、ギクシャクするよりはお話を聞いていただける先輩で良かったと思っています。
そして迎えた95年5月5日の川崎球場大会。正規軍として、当時勢いのあったヒール軍のバッドナース中村に勝ち、WWA世界女子&インディペンデントワールド世界女子王座を取り戻しました。大仁田さんの引退される日にベルトを奪回しなければならないという気持ちでいっぱいでした。
引退試合はセコンドで全てを目に焼きつけようと思いました。大仁田さんの試合にはずっと就いていましたが、涙が出てきて…泣きながら試合を見ていました。大仁田さんはハヤブサ選手と「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチ」で対戦。最後の爆破はすごい衝撃で煙に包まれ、リング上はどこに誰がいるのかわからなくなりました。そして、うっすらと見えてくると、2人がリングに倒れていました。「あっ、動いている!」。それで安堵しました。本当に心配で不安と驚がくの気持ちで試合を見守りました。
引退試合の後には、大仁田さんがハヤブサ選手らに次の世代を託しました。私はようやく、いなくなるということに実感が湧きました。大仁田さんがいなくなったら、厳しくなるだろう。そうは思っていましたが、想像を超えた厳しい現実が待っていました。
※2022年5月に死去。享年58。














