【プロレス蔵出し写真館】新日本プロレスで大暴動が発生した両国国技館(1987年12月27日)に初登場以来、徐々に〝最強外国人〟レスラーと認められたのは〝皇帝戦士〟ビッグバン・ベイダーだった。

 ベイダーが93年(平成5年)5月にUWFインターナショナルに移籍すると、その称号を手にしたのが〝フラッシュ〟スコット・ノートンだ。

 ノートンは90年12月に初来日し、7日の神奈川・愛川町大会で第1戦を行った。6人タッグマッチ(パートナーはブラッド・レイガンズ&バッドニュース・ブラウン)で長州力&馳浩&佐々木健介組と対戦。馳と健介のダブルのドロップキックを平然と受け流し、長州のリキラリアートを食らってダウンしてもすぐさま立ち上がり、ファンの度肝を抜いた。

 長州は「ベイダー級の外人が出てきた。力もベイダーと同じぐらい」と舌を巻いた。

 当時のデータでは身長189センチ、体重160キロ。胸囲は150センチで太ももは80センチ。そして上腕と首回りはなんと61センチもあった。また、ベンチプレスの記録は677ポンド(約305キロ)と驚異的なものだった。

 上腕は少年時代からはまったアームレスリング(腕相撲)で鍛えたたまもの。閃光のように1秒で相手を片付けるところから〝フラッシュ〟の異名を得た。シルベスター・スタローン主演映画「オーバー・ザ・トップ」の一環として、日本を始め世界中で予選を行い86年に優勝者を決めるというアームレスリング大会「オーバー・ザ・トップ」で見事、優勝を果たした。

 87年に公開された映画ではスタローンの相手役になる予定だったが、ノートンの腕があまりにも太すぎて、スタローンが貧弱に見えるということで降ろされ、アームレスリングのシーンでのみ登場した。この年は世界アームレスリング王者にも輝いている。

〝暴走戦士〟ホーク・ウォリアーと同じハイスクール出身で、仲が良かったというノートンは「この前、ホークと2人で黒人バーに行った。なにもサービスがないから喧嘩になった。バーにいた50数人の黒人たちを全部KOしてやった」と初来日会見でうそぶいた。

 ノートンと真っ向勝負を挑んだのは〝破壊王〟橋本真也だった。94年(平成6年)3月21日、愛知県体育館で橋本はノートンとIWGPヘビー級王座防衛戦を行い18分55秒、飛びつきDDTで勝利した。試合後、橋本は握手を交わしてからノートンに抱きついた。引き揚げる際にも握手して言葉を交わした。

 橋本は「もう1回と思った。ノートンも応じてくれた」。そう満足げに語った。

握手を交わした後、ノートン(左)に抱きついた橋本(1994年3月、愛知県体育館)
握手を交わした後、ノートン(左)に抱きついた橋本(1994年3月、愛知県体育館)

 さて、翌95年の新日プロ夏の定番、北海道巡業で珍しい光景を目にした。7月7日に岩見沢大会を終えて、翌日が函館大会。会場の市民体育館には早めに選手が到着した。時間つぶしに会場周辺を散策し始めたノートンは、犬の散歩をしている婦人に近づき質問を投げかけ交流する。

 その様子を見ていた少年ファンがノートンにサインをせがむと、即席のサイン会が始まった。〝オポジション団体〟のジャイアント馬場のTシャツを着ている少年に気づくと、なぜか頭をなで、抱き上げる。そして肩を組んで歩き始めた。いつの間にかノートンの周囲に少年ファンが集まった(写真)。

 長く〝エース外国人〟として君臨したノートンはIWGPヘビー級王座を2度戴冠。世間的に大ブームを巻き起こしたnWo、その後のTEAM 2000のメンバーとしても活躍した。

 2002年(平成14年)に武藤敬司、小島聡らが退団すると新日プロは経費の見直しに取りかかり、ノートンも例外ではなかった。

 なんと50%のギャラダウンを打診された。

 それを正式に通告したのは渉外担当だった上井文彦氏。上井氏が当時を振り返った。

「静岡・浜松の会場だった。誰も〝鈴をつけに〟行かない。マサ(斎藤)さんも言わないし…。(タイガー)服部さんに『ノートンが〝硬く〟なってるから説明してやってくれ』って言われて伝えに行った。武藤も小島もいなくて(客が)入るわけないじゃないですか。『これこれ、こういう理由でギャラダウンする。もし、のめないならもう契約しない』って、けっこう強めに言いましたね」と回想する。

「でもノートンのプライドを考えて『1週間のギャラは半分になるけど、トータルしたらそれを超える金額になるぐらい呼ぶから』って言ったんです。例えば1万ドルで3週間の契約を、5000ドルで7週間呼ぶよって。実際そのようにしました。そういう形でノートンを納得させた」と上井氏は明かし、「ノートンは喜んでました。それから仲良くなって、次に来日したときに奥さんのタミーさんから、お土産にネクタイを頂きました」と顛末を明かした。

 ところで、ノートンは自伝「STRONG STYLE」で、マサ斎藤に初めてほめられた時のことを告白していて、すぐホテルの自室からアメリカのタミー夫人に電話して、互いにうれし涙を流したと記している。

初来日を歓迎されたノートン(中央=1990年12月、茨城・水戸)
初来日を歓迎されたノートン(中央=1990年12月、茨城・水戸)

 上井氏は「マサさんを尊敬してた。レイガンズがブッキングしたデストラクション・クルー(マイク・イーノス&ウェイン・ブルーム)やナスティ・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)とか、AWAから来たレスラーはみんなそうでした」と語る。

 ノートンはトップ外国人になるべく、向上心を持って新日プロのツアーに参戦していた。気さくな性格でファンにもやさしかった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る