【プロレス蔵出し写真館】〝悲しき中年〟井上雅央が12月7日、新木場で開催する「デビュー35周年記念大会」の対戦カードが決まった。「絶賛交渉中」としていた相手は秋山準(DDT)と大森隆男。井上は丸藤正道(ノア)とタッグを組んで迎え撃つ。
井上と秋山といえば、思い出されるのが2004年の〝ノアヘルスクラブ事件〟だ。
ハードコア王者(白版GHC)だった秋山が5月14日の後楽園ホール大会で、シリーズ中に2度目の防衛戦を行うとして、挑戦者に井上雅央、泉田純、川畑輝鎮の3人を指名した。それも、1試合ごとに3分の1回の防衛とし、3人全員を倒して王座防衛となる、まさに〝ハンディキャップマッチ〟のような防衛戦。秋山は「アイツら挑戦者ってほどじゃないしね」とコキ下ろした。
さらに「健康のために練習している」と、3人組を「ノアヘルスクラブ」と命名したのだ。意識改革を迫るために、あえてタイトル戦に抜てきしたと語り、「これで終わって何もなければ、今後一切アイツらの名前を出さない」と健康倶楽部の面々に最後通告を突きつけた。
何とも不名誉なネーミングだったが、秋山らしい辛辣な愛情表現でもあったのだろう。
さて、井上は単なる〝やられ役〟ではない。得意技をアルゼンチンバックブリーカーとするパワーファイターでありながら、どこかユーモラスで哀愁を漂わせる独特の試合運びは〝マサオ・ワールド〟と呼ばれ、三沢光晴からも高く評価されていた。
そんな井上の〝やられっぷり〟が、思わぬ疑惑を呼んだ。
今から25年前、2001年(平成13年)4月18日。橋本真也率いるZERO―ONEの旗揚げ第2戦が日本武道館で行われた。
メインイベントは小川直也&村上和成組と三沢光晴&力皇猛組による夢の対決。セミファイナルに組まれたのが橋本真也&安田忠夫組VS井上雅央&本田多聞組だった。
リングに上がるや、先に突っかけたのはノア勢。ZERO―ONE陣営から格下扱いされた怒りを爆発させた。しかし、試合が進むと井上は橋本の強烈なミドルキック3連発を胸板に浴び、安田のツッパリ、ボディープレス、ダブルアームスープレックスと猛攻を受ける。さらにマウントパンチを連打され、ノド輪落としを食らった。井上は橋本を得意のアルゼンチン式背骨折りで担ごうとしたが、重すぎたようだ。
橋本にケサ斬りチョップを浴び、最後は右腕を捕られ三角絞めを決められた(写真)。ここでアクシデントが発生した。
井上の右肩が脱臼したのだ。異変に気づいたレフェリーが試合を止め9分0秒、橋本組のレフェリーストップ勝ちが宣告された。橋本はぶぜんとした表情を浮かべ、安田は怒りをぶちまけた。「脱臼したぐらいで泣きやがって、ノアには骨のある奴はいねえのか!」
井上は救急車で病院に直行し、応急処置を受けた。
パートナーの本田は「一番悔しいのは井上。あいつがやりたいと言えば一緒にもう一度やってもいい」と語り、橋本の蹴りについても「高山(善廣)の方が重いんじゃない?」と淡々と振り返った。
ところが、この一戦は意外な形で尾を引くことになる。
当時のインターネット掲示板「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)などで、「あの脱臼はウソではないか」という疑惑が浮上したのだ。理由はなんとも井上らしいものだった。
技を受けた際の大げさにも見えるリアクション。絶妙な間合いで見せる痛がり方。そして、どこか笑いを誘う〝やられっぷり〟。それこそが井上の持ち味で、不思議な魅力なのだが、あまりに見事な〝マサオ・ワールド〟ゆえに疑われてしまったのである。
半ば冗談交じりとはいえ、本気で疑う声もあった。
当の井上は、心外とばかりに当時を振り返った。
「脱臼してますよ。ホント脱臼してますよ。だって、そのまま武道館から救急車でお茶の水の日大病院に緊急搬送されたんですから。ウソなんてとんでもない話ですよ。完全脱臼ですから」
そして、試合が止まるまでの切迫した状況を明かした。
「外れたから、レフェリーに言ったんですよ。『無理無理! 外れた外れた! 肩外れた! 肩外れてるから』って言ったんだけど気づいてくれなかった。なかなか止めてくれなかった」
ただ、井上の口から橋本への恨み節は出てこなかった。
「向こうだってそんなつもりでやったんじゃないんで。僕の力量不足っていうのもありますし、あぁ何!?っていう感情と、あぁ申し訳なかったなっていう半々ですね」
悔しさ以上に胸に残っていたのは、ノア代表としての責任感だった。
「僕がケガしちゃったから試合自体もね…。三沢さんの顔に泥塗っちゃって。三沢さんがわざわざ病院まで来てくれて。『すいませんでした』って謝った記憶がありますよ。やっぱりノア代表として出て行ってあの有様でしたから。期待に応えられなかった。力量不足です」
井上は、そう言って肩を落とし、念を押すように「その後もしばらく試合休んでますからね。(脱臼は)ホントですよ」と声を強めた。
あの日の脱臼だけは、断じて〝マサオ・ワールド〟の延長ではなかったのである(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














