【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(22)】海外遠征も3年目になった1989年、とうとう帰国命令が出て、10月のシリーズから新日本プロレスのリングに戻ることになった。
だが、日本プロレス界の状況も、契約内容もわからない。当時一緒に欧州を回っていたマルティーナ(現在の夫人)に「半年ぐらい様子を見てから呼ぶから」と伝えたら「あなたは絶対に呼ばない。私も一緒に行く」と。案の定、翌年の1月までは海外に出る前と同じ金額の契約だった。なんとかこの期間を乗り越えて、次の契約では2人が食えるぐらいの金額にはなった。
帰国した時は空港にもマスコミが来ていた。新日本のフロントに「彼女が一緒に帰ってきてるので…」と相談し、マルティーナには別の車で帰ってもらった。空港では(姿を隠すために)カーテンをかけられたりして「すごく不愉快な思いをした」って、今でも言われるよ(笑い)。
日本に戻る前、大剛(鉄之助)さんと相談して、米国・バージニア州にあるルー・テーズの道場に“箔付け”をしに行くことになった。ここでスパーリングをしていたルー・テーズが使っていたのがSTFだった。技の名前を聞いたら「ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェースロック」だという。あまりにも長かったから、断りを入れて「STF」に縮めて、日本に持って帰ることにした。
STFを自分の技に取り入れたのには理由がある。寝技と締め技の複合技でかつ、誰も使ってなかったからだ。この間のG1決勝でもヘッドロックが決め手になっていたように、プロレスの技はファッションと一緒で、はやり廃りがある。試合のスタイルもそうだ。その新たな流れをつかめるヤツが時代をつかめると俺は思っている。
俺たちの時代は、藤波(辰爾)さんがスピーディーな試合、長州(力)さんは受けを排除して詰め込む「ハイスパートレスリング」と呼ばれる試合をやっていた。米国でもロード・ウォリアーズに代表される“秒殺”がはやっていたし「同じことをやっていてもダメだ」と思ったんだ。
余談だが、前座のレスラーが使っちゃいけない技を使い出したのがライガーだった。なぜか先輩たちから文句を言われないタイプで、それを見て橋本(真也)選手が蹴りを使いだした。若手だった武藤(敬司)さんがムーンサルトを使うのもまずありえなかった。このぐらいの世代から、もう何でもありになってきたんだね(笑い)。
今でこそSTFは世界中で使われる技だそうだけど、もともとはルー・テーズの技だから。決め方とか入り方をわからずにやっているレスラーもいるから、直した方がいいなって思うことはあるね。














