【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(19)】1989年6月のオーストリア・グラーツ大会から橋本(真也)選手が合流した。これが大失敗の連続だった。

 実はこの数か月前に米国武者修行中の三銃士でWCWに参戦するプランが浮上した。俺と橋本選手は乗り気だったが、武藤(敬司)さんは「あぁ~」と返事をするだけ。結局計画は流れて、武藤さんは1人でグレート・ムタとしてデビューすることになった。橋本選手が合流したのは、そういう経緯もあったんだ。

 シリーズがトーナメント方式だったから毎大会の入場式で20人ぐらいの選手が名前を呼ばれてあいさつをする。最初は橋本選手も見ているだけだったけど、次の日から鉢巻きを巻いたり、とんでもないパフォーマンスを連発するようになった。

 ある日は日の丸をマントにして出てきた。プロモーターのオットー・ワンツから「それはやめろ」と注意されると、次の日は日の丸をエプロンにしていた。また別の日は式の前に控室でこそこそやっていた。いざ名前を呼ばれたら、うちわで紙を扇いで花吹雪を披露した。選手は大笑いになっちゃってオットーから「明日からもう(式に)出なくていい」って言われちゃったよ(笑い)。

 シリーズの中で一度、橋本選手とストロングスタイルの一騎打ちをやらせてくれと頼んだことがあった。欧州ではセミファイナルがメインイベント扱いだ。向こうも了承してくれて「ジャパニーズサムライが殺し合いをする」って宣伝をしてもらった。

 試合前にレフェリーから「ある程度客を楽しませろ、時間は気にしなくいい…短くなければ! No short!」とお達しがあった。「任せてくれ!」と意気込んだが、試合直前に「short」が頭に残り「インパクトのある短期決戦ってことか…」って2人とも勘違い。結果、最初から全力でぶつかり合い、5分もたたないうちに場外戦になり、両者リングアウトで試合が終わってしまった。意気揚々と控室に戻ったら、次の試合の選手の準備がまだ終わっていなかったよ。

 最終戦でも失敗は続いた。トーナメントの最後に順位発表であいさつがあるのに、試合を終えた橋本選手がシャワー室から出てこない。慌てて呼びに行ったら「もうちょっとだから!」と泡だらけだ。バスタオルで出ていこうとしたところをオットーから「もう出なくていい」って(笑い)。

〝ハッスル・キング〟橋本真也の原点はテネシーにあった
〝ハッスル・キング〟橋本真也の原点はテネシーにあった

 主戦場の米国・テネシー州ではアメリカンスタイルでやっていた橋本選手は欧州が肌に合わなかったんじゃないかな。そういう部分が発揮されたのは「ハッスル」(※)からだと思う。「ハッスル」のもとはテネシーにあるんだ。

※ 橋本が参加した娯楽色の強いプロレスイベント。