【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(15)】武者修行でカナダ・ノバスコシア州を主戦場にしていた1988年の夏、橋本(真也)選手から“記事飛ばし”用に、武藤敬司さんと3人で写真を撮らないかという話が来た。有明の話(※)とどっちが先だったか、詳しくは覚えていない。
橋本選手は当時、遠征先のカナダでトラブルを起こしたと、聞いていた。その後、ロサンゼルスで手術のリハビリをしている(アントニオ)猪木さんの付け人をしていたんだ。
猪木さんか、東スポか、誰が言い出したのかは定かではないけど、今回の企画の意図は俺、橋本選手、武藤さんの3人を束ねて、救世主的な形で合流をさせないかというものだ。ようやく飯が食えるようになっていたところだったから、帰国命令でもないのに、いちいちそういうのに振り回されるのは、あまり乗り気ではなかった。
俺は「チャンピオンだし、無理だよ」って言ったけど、プロモーターに相談して、どうにか短期間のオフをもらった。武藤さんは、やる気がないから「会えない」って。もう一方の橋本選手は仕事がないからやる気満々。どこかで集合しようということで、武藤選手のいるプエルトリコに行くことになった。
最初にニューヨークで合流した橋本選手は「蝶野ちゃん、大丈夫だよ。俺は猪木さんからゴールドカードも預かってるし“何でもやってこい”って言われてるから!」と上機嫌。俺は「それは分かったけど、とりあえずそのカードは使うなよ。結局どうするんだ」といった具合で、状況がよくのみ込めていなかった。とにかく記者とカメラマンを連れてプエルトリコへ飛んだ。電話連絡がうまく取れない中で、一応到着する時間だけは伝えて、記者たちと武藤選手が住んでいるマンションに着いた。
だけど、ピンポンを鳴らしても一向に武藤さんは出てこなかった。この日はオフのはずだ。30分待っても出てこないからみんなで「おーい、武藤ー!」と下から大声で叫んでみた。そんなことを1時間か2時間ぐらいやっていたのかな。「ここまで来てこれかよ…」と思った時、武藤さんがベランダからひょっこり顔をのぞかせた。
「いるじゃねーか! ふざけるなよ、出てこいよ」と呼びかけると、武藤さんは「いや、マジで来たのかよ…」という感じの返答。海外でようやく会える、しかも猪木さんの命令もあって来てるのに、まさか隠れるのかよって、半分笑っちゃったな。こうしてドタバタの末にスリーショットを撮り終えて「闘魂三銃士」が結成されたんだ。
※88年7月29日の新日本プロレス有明コロシアム大会で一時帰国した闘魂三銃士が藤波辰爾、木村健吾、越中詩郎と6人タッグマッチを戦い、反則勝ちした。













