【プロレス蔵出し写真館】1995年(平成7年)4月2日、東京ドームで13のプロレス団体が参加するオールスター戦「夢の懸け橋~憧夢春爛漫~」が開催された。主催したのは公称部数40万部の専門誌「週刊プロレス(以下週プロ)」を発行していたベースボール・マガジン社(以下ベーマガ)だ。
対抗戦ではなく団体の提供試合という形で行われ、参加したのは試合順に女子のJWP、LLPW、全日本女子、男子の剛軍団、IWAジャパン、パンクラス、藤原組、みちのく、リングス、UWFインターナショナル、FMW、全日本、メインを飾ったのは新日本プロレスだった。
ベーマガが東京ドーム大会を企画し、週プロの〝名物編集長〟ターザン山本氏がプロデュースを任された。同日、後楽園ホールで興行があったWARはドームに参戦しなかった。これが、山本氏のその後の運命を左右することとなる。
山本氏は「2代目社長がドームと契約して、4月2日に押さえたと言ったからビックリした。〝なに考えてんだ〟って。これは大変なことになったな思った。最初にピンときたのは、この日は日曜日だったので、どっか(の団体)が後楽園ホールを押さえてるに違いないと。調べたら、なんと皮肉なことにWARだった」と明かす。
90年4月、天龍源一郎が全日プロからSWSに移籍を決めた際、週プロは「この事件で義理人情より『プロはお金である』ことが、はっきり証明された」と、天龍は金で動いたと猛バッシングしてネガティブキャンペーンを展開。SWSが92年に崩壊すると、天龍のWARとNOW、2つの団体に分裂した。
山本氏はWARと交渉の席で、不参加を伝えられ「それではWARをマイナーなところへ追いやることになってしまう」と言ったとされる。
山本氏は「本当のことですよ、それ。武井(正智WAR社長=天龍の義弟)さんに『後楽園ホールの興行を降りてもらって、こっちに参加してくれませんか? その代わりホールの満員の売り上げをお支払いします』と言ったら、武井さんに『天龍さんは金で動いたということ(報道)に関して非常に〝根に持っている〟のでウチは金で動きません』と。結局、今度は僕がWARを金で買うみたいな形になったので武井さんがへそ曲げて、『出れません』と言ったんです」。
「裏っ側でやられたらマズイなと心がスネちゃって、売り言葉に買い言葉で『そうなればウチではマイナーなことになりますよ』と言ってしまったんです」(山本氏)。
週プロのライバル誌「週刊ゴング」はWARをバックアップし、天龍を表紙にして〝俺は金では動かない!!〟と皮肉の利いたキャッチコピーをつけた。
当時ゴング編集長だったプロレスライターの小佐野景浩氏は「武井さんは『お金を出す』と言われて、カチンときたみたい。物言いが上からだから。あのころのターザン山本ってやっぱり影響力のある人だったから、協力しないで週プロに干されたら嫌だなって団体もいたはず」。
強力な援軍も現れた。新日プロの現場監督だった長州力は山本氏の姿勢を批判。「どんなカードでもいいから、後楽園はオレの枠を空けといてくれ」と〝裏ドーム〟への出場を申し出たのだ。
結果、後楽園ホールは2200人超満員札止めの大盛況となり、入り切れなかった客はプリズムホールでクローズドサーキットを見た。試合後、天龍はマイクを手にすると「俺たちはプロレス界のかませ犬にはならない」と絶叫した。
さて、ドームの観衆は6万人と発表された。メインで蝶野正洋を破った橋本真也は山本編集長を呼び込み、手を取って「一緒にプロレスを盛り上げましょう」と観客にアピールした(写真)。すると、思いもかけず館内からブーイングが発生する。
山本氏は「僕はプロデューサーじゃないですか。表に出ちゃいけないわけです。だからずっと後ろにいた。そしたら部下が俺のとこへ来て『橋本選手がターザン山本さん呼んできてください。最後に締めましょう』って言ってると」
「東京ドームでやるということでマット界を支配するような形になったから、もうターザン山本から気持ちが離れてるわけですよ、みんな。だからブーイングが起こったわけです。ターザン山本一人だけ独り勝ちしている形になっているので。それも、わかっていたんだけど、橋本が呼ばなくていいのに呼んでしまったんですよ。全部裏目に出てるんですよ。橋本はまた調子が良くて東京ドーム終わった後に、後楽園ホールに行ってるわけ。俺、余計腹立ったよ(笑い)。何もかも裏目裏目裏目。大誤算だった」(山本氏)
ところで、山本氏は翌96年、新日プロから取材拒否された。その影響は顕著で、売り上げで週刊ゴングに逆転され、和解の仲介も実らず同年7月に辞表を受理され、ベーマガを退社した。
山本氏は「追放される運命になったので、夢の懸け橋は俺にとってはでかい出来事なんです。だから(夢の懸け橋の)パンフレットに〝終わりの終わり 始まりの始まり〟と書いてる。終わりの始まりって俺のこと。それはターザン山本がここでピークになって終わって活字プロレスも終わって、週刊プロレスも終わるという予言なんですよ」と語る。
山本氏にとって夢の懸け橋は苦い思い出になるのだろうか。
山本氏は「大失敗!」と即答すると、「要するに生き方・哲学・精神っていうものを武井さんとのやりとりで勘違いしたなと。マイナーパワーでやってたのに、相手に対して『マイナーになりますよ』って言ったことは、僕にとってはもう人生最大の失敗、失言です。過ちです」と振り返った(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













