〝小さな巨人〟と呼ばれた名レスラーのグラン浜田さんが、2月15日(日本時間16日)にメキシコで死去(享年74)。メキシカンスタイルのプロレス「ルチャリブレ」を日本に広めた先駆者の伝説を、新日本プロレス草創期から知るプロレス評論家の門馬忠雄氏(86)が振り返った。

 ――浜田さんは新日本に1972年に入門

 門馬氏(以下、門馬)関川哲夫(故ミスター・ポーゴさん)と一緒に入門したけど、関川は度胸あるほうじゃなくて、半年もいなくて辞めた。それで、運転手代わりで来た小柄な浜田が残ることになったんだ。

 ――新日本でデビュー当時は

 門馬 頭から離れないのはパンフレットの話。パンフレットはシリーズごとに変わるけど、そこに記載された彼の身長もシリーズごとに変わるんだよ。166センチ→165センチ→167センチという感じで、1センチ単位でね(笑い)。それで彼に「その年で、身長が伸びたり縮んだりするのか」と聞いたら、しばらく口きいてもらえなかった。面白かったなあ。

 ――新日本の前座でのリングネームは「リトル浜田」

 門馬 今なら入門テストに合格するサイズではなかった。当時は(故山本)小鉄ちゃんが根性論のトレーニングで厳しく指導していた、新人が何人も入ってくる中で、小柄な彼が残ったのは、根性があったってこと。負けん気が強かったね。柔道の基礎があったんで、何でもできたよ。

仲良く写真に収まる浜田広秋(左=グラン浜田)と小沢正志(キラー・カーン、1973年)
仲良く写真に収まる浜田広秋(左=グラン浜田)と小沢正志(キラー・カーン、1973年)

 ――当時の浜田さんのファイトぶりは

 門馬 73年4月に坂口征二をはじめ、小沢正志(故キラー・カーンさん)らが日本プロレスから移ってきた。旗揚げ2年目で新日本はようやく前座のカードが組めるようになり、そこで前座の最高カードとなったのが浜田vs小沢だったね。浜田は体の大きい小沢の股をくぐり抜け、ドロップキックとこまねずみのように動いて、それをテンポの遅い小沢が追いかけるという。小沢とは負けた試合の後に飲みにいったけど「何で小さい浜田に俺が負けるんだよ」と泣いていたよ。

 ――キラー・カーンを泣かせた男

 門馬 負けん気が強かったから、レスラー仲間からの評価は分かれていたね。「いい人」という話もあれば、ケンカが絶えない面もあった。ただ、彼は「前座の花形」と言える存在で人気があり、貴重な存在だったね。お酒も強かったし、口も達者だった(笑い)。

 ――メキシコに行って飛躍

 門馬 そんな浜田がメキシコでステップアップしたのは驚いた。メキシコに行って「グラン浜田」になったけど、日本にルチャリブレ、メキシコの戦法を花開かせたパイオニアになったね。浜田がルチャを輸入し、日本に軽量級の種をまかなかったら、藤波辰爾や佐山サトル(初代タイガーマスク)が花開くことはなかったし、日本に「ドラゴンゲート」もなかったと思うね。そこはもっと評価されるべき。私の中では、新日本の草創期に一緒に巡業した欠かせない男。忘れられない〝小さな巨人〟だよ。