【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(14)】1987年12月、俺は米国・ミズーリ州カンザスシティーで海外武者修行中だった。ただ内容は1試合は40ドル(約6300円)とかで安かったね。そういうところとしか交渉できなかったんだ。ここではブッカーで後のタッグパートナー、ボブ・ブラウンがある程度、口を利いて世話をしてくれていた。もう時効だと思うから話すけど、この時、俺はビザを申請中で試合をやっちゃいけない状態の〝モグリ〟だった。途中からそれを知ったから、スピード違反とかで捕まったら強制送還されるかもしれないっていう恐怖があったね。

タッグパートナーだったボブ・ガイゲル(左)とボブ・ブラウン
タッグパートナーだったボブ・ガイゲル(左)とボブ・ブラウン

 12月に入ってから、この団体(NWA)を去るまで、結局一回もギャラをもらえなかった。200人ぐらいの会場で試合が終わったら20人近くの選手がプロモーターのところへ並んで、現金をもらっていく。俺だけは小切手をもらった。メインイベンターから最初にもらっていって俺は一番最後。2~3週間して小切手を銀行で現金に換えようとしたが、換金できなかった。金がないと困るけど、さすがに駆け出しの下っ端だったから交渉もできなかった。プロモーターで元NWA会長のボブ・ガイゲルが一緒に飲んだ時、空き缶を金に替えるために集めていたほどの窮状だった。

 選手もどんどんいなくなった。新設されたベルトのチャンピオンになって日本に記事を飛ばすことができたけど、最終戦はカンザスシティーから車で2時間ぐらいにあるコロンビア。会場に着いたら選手、スタッフの数が異様に少なかった。こんな現場に居合わせるなんて、後から考えるといい経験だった。プロレス業界は世界中同じような人たちばっかりだとは思わなかったよ。

 食うに食われず、日本食レストランでバイトすることまで考えた。それまで「副業をやったらプロじゃない」って意地があったんだ。そんな中、ボブからカナダのノバスコシア州への転戦を誘われた。夏の期間しか興行がなく、冬場は雪で閉鎖する街だ。ボブも40歳を超えて、パートナーがいないと動けない。だけど人脈はある人だった。

 借りていたアパートを整理してボブと車で北へ出発した。約3000キロの旅だ。ニューヨークで1泊して残りは1500キロ弱。ノバスコシア州に着いたら、カンザスシティーの時と同じようにトライアウトを受けた。今度は俺がベルトも巻いてるとの情報も入っていたから、扱いは前とは同じじゃなかった。ちゃんと週に500ドル(約8万円)~600ドル(約9万5000円)くらいはもらえて、ようやく食えるぐらいにはなった。ボブとはタッグチャンピオンにもなった。

 生活が軌道に乗り始めた時、橋本選手から日本へ飛ばし記事をつくる連絡が入った。「闘魂三銃士」の集合写真を撮りたいとのことだった。