【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(12)】1987年3月の第3回ヤングライオン杯に優勝し、海外武者修行の権利を手に入れたけど、うれしくなかった。この頃は(アントニオ)猪木さんのメインの付け人になってサブが大矢(剛功)。寮長にもなって付け人のストレスはあったけど、やっと「天国」と言える環境になった。彼女もいて車も持っていて、夜遊びができる金ももらえている。正直、この海外武者修行は「マジですか」って感じだった。

 渡航の1か月前に会社から出されたスケジュールには半年間の予定が記されていた。「このぐらいで帰ってこられるのか」とブルース・リーがローマに行くイメージに胸を膨らませた。6月、俺はオーストリア・グラーツへ旅立った。ファンの人からもらったカセットテープに入っていたのは「TM NETWORK」の「Get Wild」。全然知らなかったけど、良い曲だった。

 飛行機が出発してから機内で乗り継ぎができるか不安になった。確認していると、帰りのチケットがないことに気がついた。12月までスケジュールがあるのは確か。「どういうことなんだ…」と思いながら「Get Wild」を聞いていたら、だんだん悲しくなってきた。「もう帰れないじゃないか」って半分泣き始めてしまったよ。

 話はそれるが、海外でのプロレスを体感したい思いは当時からあったんだ。派閥による試合中の“仕掛け”が横行する日本と違って、米国では選手同士がリスペクトを持ってエンターテインメントを含めたプロレスを成り立たせていた。ただ、最初に行ったのが欧州。今度は国や人種によって派閥があることが分かったんだ。結局はどこに行っても一緒なんだよ。

 1週間ぐらいベルリンに泊まっていた時、まだ来日前の(ビッグバン)ベイダーと一緒だった。米国人のベイダーは全日本プロレスに声をかけられていて、欧州選手に自慢していた。欧州勢にとって米国や日本に行くのはステータスなんだ。さらには新日本プロレスからも引き抜きの話があったから「てんぐ」になっていた。

TPGの刺客として新日本参戦したビッグバン・ベイダー(1987年)
TPGの刺客として新日本参戦したビッグバン・ベイダー(1987年)

 ある日の夜、ベイダーは日本で試合経験のある英国選手に助言を求めた。すると「日本マットは激しい。どのぐらいヘッドバットできるか見せてみろ」と、血だらけになるまでベイダーを公園の木に頭をぶつけさせたんだ。実力がある若手への嫉妬による“いたずら”だ。同じ英語圏でもこれだけの断絶がある。日本で経験してきたものと変わらないんだ。

 黒人の選手はさらに地位が低かった。東洋人はブラックでもアラビアンでもないから宇宙人。ただ、もともと新弟子で一番下の階級から海外に来た俺には違和感はなかった。そういうポジションで欧州での転戦をスタートさせた。