【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(18)】米国・アラバマ州を主戦場にしていた俺は1988年7月、一時帰国して闘魂三銃士(蝶野、武藤敬司、橋本真也)としてタッグマッチ(有明コロシアム)に臨むと、同年11月に「88ジャパンカップ・イリミネーション・リーグ戦」に参戦。そして89年4月に東京ドームで行われたIWGP王座決定トーナメントに出場するため、3度目の一時帰国をした。
このころはスポット参戦が続いていて、もう正式には日本へ呼ばれないパターンなのかなと…。マサ(斎藤)さんとか桜田(一男)さんとかみたいに、海外で生きなきゃいけないという意識になっていた。ただ自分が米国とか欧州で回っている会場は何千人レベルで、1万人にいくような会場は経験していない。まして今回の舞台はプロレス界として初めての東京ドーム大会だ。実力を認めてもらうチャンスでもあったんだ。
(アントニオ)猪木さんが異種格闘技戦に挑む時を見習って、俺も1か月ぐらい前からコンディションの調整に入ってベストな状態で試合に臨んだ。1回戦の相手はビッグバン・ベイダーだ。だけど入場の時に、気合を入れて「行くぞぉ!」と渾身の雄たけびを上げたら、そっからは何も覚えていない。記憶が飛んじゃったんだ(笑い)。
後で試合を見たら戦って、負けているんだけど、どんな試合をしたとか、会場の雰囲気とか全く記憶はない。シャワーを浴び、洗濯物たたんでタクシーに乗ったところで、やっと気が付いた。運転手さんに「ここどこですか」って聞くと「えっ、東京ドームですよ?」と言われて「あっ、試合は終わったんだ…」とわかった。結局アドレナリンを上げ過ぎると記憶が飛んじゃうんだ。緊張感とかを上げるにはいいけど、マックスを超えちゃいけないというのは一つの教訓になったね。
苦い思い出とともに米国に戻った俺に再び不運が襲う。ジョージア州アトランタの空港で国外退去の命令を出されてしまったんだ。現地団体の手違いで、ワーキングビザが更新ができてないことが判明し、どうにもならなくなってしまった。どうにか3日間だけ許可をもらって、マルティーナ(現夫人)と住んでいた家を引き払った。本当に記憶をなくした東京ドームから、ろくなことがなかったね(笑い)。
欧州時代に世話になった、プロモーターのオットー・ワンツを頼って再び欧州で半年間の転戦を始めた。そんな矢先、橋本選手から電話がかかってきた。「もうそろそろ帰国命令が出るから、その前に欧州にも行きてえんだよな。蝶野ちゃん、そっちで試合を組んでもらえないか」とのことで、2人でシリーズを回ることになった。これがとんだ〝珍道中〟の始まりだったんだ。














