プロレスリングマスターことノアの武藤敬司(59)は来年2月21日東京ドーム大会で引退する。昨年には58歳でGHCヘビー級王座を奪取する快挙を達成したが、60歳を過ぎてもメジャー王座や「世界」の冠がついた王座を保持した選手はプロレス史でも数えるほどだ。元NWA世界ヘビー級王者で“鉄人”と呼ばれたルー・テーズは、1966年までNWA王座を6度戴冠。その後も数々の世界王座を手中にしたが、実に62歳まで世界王座に君臨していた。77年8月に当時は新興団体だったメキシコのUWAの世界ヘビー級王座に認定され、翌年9月まで王座を保持。これがテーズにとって最後の世界王座となった。
78年9月10日、テーズはメキシコ市のパラシオ・デ・パビリオンでエル・カネックとの防衛戦に臨む。観衆は何と2万2000人。カネックは同年3月に新日本プロレスの蔵前国技館大会で藤波辰爾(当時・辰巳)とのWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級戦をドタキャン。“敵前逃亡”した選手として日本では悪名が高かった。しかし新興団体のUWAはカネックを新たなスターに押し上げようとテーズとの一戦を組んだとされる。本紙は「ああ鉄人テーズの最後」「62歳最後の岩石落とし」の見出しでテーズの「落日」を詳細に報じている。
『UWAはテネシー、オハイオを中心とする小団体だが、メキシコではNWAと並ぶ力を持っている。創設時から世界ヘビー級王者はテーズ。ただの一度も誰にも渡すことはなかった。全盛期は937連勝、NWA王座6度奪取の金字塔を打ち立てたテーズにとっては最後のトリデ。62歳で現役を続ける命綱だった。老いたりとはいえ開始からテーズのレスリング技術はさすがだ。しかしレッグロックをかわしたカネックは場外への人間ロケットから、フライングボディーアタック、ダイビングボディープレスで“鉄人”から先制のフォールを奪った。2本目はパンチの連打からドロップキックを2度自爆させ、引きずり起こすや背後に回る。出た! これが本家本元のバックドロップだ。仕掛けたテーズも後頭部を強打。やっとの思いでフォールした。決勝ラウンド。両者ともにダメージは深い。ヒザをついたまま殴り合い、テーズはヒジ打ち。カネックはタックル。やはり若さの差か、カネックはテーズ気力のフライングボディーアタックをかわすと、強引にメキシカンストレッチ(変型アバラ折り)でグイグイ締め上げる。テーズはたまらずギブアップした。鉄人の名にふさわしく40年以上戦い抜いたテーズ。最後の命綱・UWAのベルトも断ち切られた。不滅のテーズもこれで滅びる――テーズ神話はこれからリングでなくファンの伝説の中で生き続けるだろう。2万2000人の「ビバ! カネック」の大声援は、鉄人テーズの幕切れにふさわしかったのかもしれない』(抜粋)
その後はレフェリーなどを務めたが、驚くべきことにテーズは引退するどころか、80年9月にビル・ロビンソンのCWA世界ヘビー級王座に挑戦。惜しくも敗れて64歳の世界王者誕生はならなかった。それでも87年11月には71歳にしてWWFの「オールドタイマー・バトルロイヤル」で優勝したから恐れ入る。90年12月26日には新日本浜松大会で弟子の蝶野正洋と引退試合を行って、自らが伝授したSTFで敗退した。実に74歳7か月。その後もUWFインターの最高顧問などを務め、日本マットに関わり続けた。
テーズは57年10月に日本プロレスに初来日して力道山と2度の激闘を繰り広げてから新日本、全日本、国際などほとんどのメジャー団体に関わり続けた。晩年に各団体を渡り歩いた姿勢には様々な意見はあるものの、外国人選手としては約半世紀にわたり、日本マット界の発展に尽力した最大級の貢献者だったのは間違いない。 (敬称略)












