【グレイシーハンターの〝真実〟 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道(3)】1988年4月、秋田商業で始めたレスリングで「東北無敗」という結果を出したことと、ある程度の学力で推薦をいただいて、中央大学に進学しました。レスリングも最初はめっちゃ楽しくトレーニングしていましたよ。4年生に同じ階級で秋田商業の先輩が2人いたんで、スパーリングも毎日ガッチリやってたんですよ。

 だけど、翌年にその先輩たちが卒業したこともあって、自分の中の熱が引いていってしまったというか。「なんか、つまんねえな」って考えるようになってしまったんですよね。それでも「将来プロレスラーになりたいから、大きい階級の人とやります」とか言って、自分より重い人たちとスパーリングするのは楽しかったです。

 そのまま4年生になって一度「就職しようか」と考えて、あるスポーツジムでインストラクターとして内定をもらったんです。なんでスポーツジムにしたかって? あの時代は、就職案内のダイレクトメールがいっぱい届いていたんですよ。その中に「週休3日」っていうところがあって「週休3日かよ! いいじゃん!」って思って、その会社に連絡したら、そのまま「内定」をもらえたんです。

 ところが、2教科分の単位が足りなくて卒業できず、留年しちゃったんです。それで先方にお断りの電話をさせていただきました。それでも「待っているから来い」って言っていただいたんだけど「すみません。もう秋田の実家に帰りますんで」って入社をお断りしました。

 断った理由? 僕の中で週休3日の魅力が薄れたからだと思います(笑い)。あとは大学を留年することが決まったときに「俺、なんでレスリングを始めたんだろう」って自問自答したんです。そこで「プロレスラーになりたかったんだ」ってことを改めて思い出したんですよ。それで、もう一回体重を増やして「プロレスラーを目指してみようか」という考えになったんです。

 でも、どうすれば「プロレスラーになれるか」なんて、分からないじゃないですか。そんな調子でしばらくは「どうすればプロレスラーになれるかなあ…」って考えていたんです。それでどうにか、高橋和生(現・義生)さんの電話番号を知ることができたんです。

「藤原組」所属の高橋(左)に連絡を取った(91年11月)
「藤原組」所属の高橋(左)に連絡を取った(91年11月)

 高橋さんは当時すでにプロフェッショナルレスリング藤原組でプロデビュー(92年2月)していたんですが、日大のレスリング部出身で国際大会でも入賞していた実力者なんですよ。だからレスリングの会場で顔を合わせればあいさつする程度には面識はあったんです。

 そこで、その番号に電話して、高橋さんに藤原組に入れないか相談したんですけど…。 

 

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