【グレイシーハンターの〝真実〟 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道(2)】中学1年生の時、地元の秋田でタイガーマスクのマンガ本を見たことをきっかけに〝実在〟することを知りました。僕は初代タイガーマスク(佐山聡)の動きに衝撃を受け、ずっと憧れを抱いていました。1985年3月の中学卒業を前に学校の先生との進路指導があり、その時に「プロレスラーになりたい」って告げたんです。

 当時、船木誠勝さんが中学を卒業してそのまま新日本プロレスに入門したっていうのを「週刊プロレス」で見ていたから「俺も…」って伝えました。だけど先生からは「とりあえず高校を出てからでもいいんじゃないか?」って説得されて「それもそうか」って。その時は諦めました。ちょうど、その年のインターハイ(高校総体)のレスリングで秋田商業が準優勝したんです。だから秋田商業に行くことにしました。プロレスは「プロのレスリング」だから。プロレスラーになるために「レスリングをやろう」と思ったんです。

 進学してレスリング部に入ってからはずっと練習していましたよ。とにかくレスリングが好きでした。最初は筋トレが苦手で腹筋は1回もできないし、懸垂も2、3回しかできませんでした。でも入部1か月で普通にロープも登れるようになった。上達が早い? それも好きだからですよ。筋トレ自体は好きではないけど、レスリングのためだと思うと楽しくなる。これも「好きこそものの上手なれ」ですね。

高校時代はレスリングに打ち込んだ(86年ごろ)
高校時代はレスリングに打ち込んだ(86年ごろ)

 プロレスも相変わらず好きで「週刊プロレス」を必ず毎週買って読んでいました。でもテレビはあんまり見られなかったなあ…。だって、練習で疲れて家に帰って夕飯を食べたら、めっちゃ眠くなるじゃないですか。確か、あのころの秋田では「ワールドプロレスリング」が深夜0時30分とか1時から始まっていたんで、それを見るにはめっちゃ睡魔を我慢しないと見られなかった。

 だから「アントニオ猪木VSブルーザー・ブロディ」(85年4月、両国国技館での初シングル)は睡魔に負けて見られなかったんです。でも試合に関しては後に「見なくてよかった」と思いましたね。ブロディが「ワーワー」言って回ってるだけだったから…(笑い)。

 ただ、この時はとにかくレスリングが好きでした。それで卒業を控えた時期にレスリング部の監督から「お前、大学に行け」って言われて「そういう道もあるんだ」と思い、進学してレスリングを続けることにしたんです。高校レスリングの成績? 個人では大体ベスト8くらい。あ、でも東北で無敗だったから「ベスト8」じゃなくて「東北無敗」にしときましょう。そっちの方がなんかすごそうだから。それに団体でも準優勝していて学校の成績も悪くはなかったから、中央大学に推薦で進学できました。

 

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