【プロレス蔵出し写真館】7月17日は1988年(昭和63年)にプエルトリコで不慮の死を遂げた〝超獣〟ブルーザー・ブロディの命日だった(享年42)。

 その年の8月29日、全日本プロレスの日本武道館大会でブロディを偲ぶメモリアル・セレモニーが行われ、盟友スタン・ハンセンらが献花した。ブロディとハンセンのコンビは、ミラクル・パワーコンビと呼ばれ〝最強タッグコンビ〟の名をほしいままにした。

 81年(昭和56年)12月13日、新日本プロレスのシリーズを終えたハンセンが、全日プロの蔵前国技館大会に〝電撃登場〟。翌82年からブロディとのタッグが結成され、暮れの「世界最強タッグ決定リーグ戦」で大旋風を巻き起こした。最終戦ではドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクスと対戦。ハンセンのウエスタンラリアートにレフェリーのジョー樋口が巻き込まれて反則負けを取られ、準優勝に終わった。

世界最強タッグ最終戦で、鶴田(左)にダブルのドロップキックを見舞うブロディ(右)とハンセン(1983年12月、蔵前国技館)
世界最強タッグ最終戦で、鶴田(左)にダブルのドロップキックを見舞うブロディ(右)とハンセン(1983年12月、蔵前国技館)

 翌83年春に行われた「10万ドル争奪世界最強タッグリマッチ」(ハンセン&ブロディ組、ファンクス、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組の3チームが2回総当たり)で反則、リングアウト絡みもあったが、4戦全勝で優勝した。

 暮れの最強タッグリーグは最終戦で鶴田&天龍源一郎組と対戦。ハンセンが天龍をラリアートで葬り、得点で勝り見事優勝を果たした。

 ブロディが新日プロに移籍してコンビは解消されたが、87年4月にブロディが全日プロにカムバックすると、まさかの初対決が実現する。ハンセンはテリー・ゴディとタッグを組み、ブロディのパートナーはジミー・スヌーカ。同年11月22日、最強タッグリーグ戦の後楽園ホールがその舞台となった。

 スタートはハンセンとスヌーカだったが、館内からはブロディコールが湧き起こる。ブロディはタッチを求めてリングインした。

 2人の激突はまさにド迫力。ブロディがハンセンをロープに振り、超獣キック。これをかわしたハンセンがロープに飛んでラリアートで左腕を振る。今度はブロディがかわして体当たりで両者がダウン。館内は2人への歓声が大爆発した。

 その後、ハンセンはゴディとダブルのエルボーバットをブロディに決め、顔面キックで反撃するブロディ。

 両軍リングアウトで17分14秒、引き分けに終わったが、超満員2550人(※当時の発表)の観衆は2人の攻防を堪能したようだ。

10万ドル争奪世界最強タッグリマッチで優勝したブロディ(右)とハンセン(1983年4月、京都)
10万ドル争奪世界最強タッグリマッチで優勝したブロディ(右)とハンセン(1983年4月、京都)

 渕正信が当時を振り返った。

「オレはそのころマッチメーク的なこともやってたから、馬場さんとたびたび話をした。そろそろハンセンとブロディがタッグマッチかシングルでやる方向で。もう頂点を2人で達成していたからね」

「いきなりシングルというのはあれだから、天龍、ハンセン組対鶴田、ブロディ組はどうか、とかね。もちろん天龍さん、鶴田さんにも話してた。鶴田、ブロディ組が最強タッグで優勝して、その後リベンジ戦ではハンセン、天龍組がやり返すとか、そういう展開になれば、それこそ昔のファンクスVS(アブドーラ・ザ)ブッチャー、(ザ)シークのような、すごい試合になったんじゃないかな」 

「ブロディは鶴田さんに対しては最大級の評価をしてたからね。天龍さんに対してもね。『鶴田ほどスタミナはないけど、これからいいライバルになっていく』みたいなことは言ってたよ。結局、ブロディが亡くなったために実現はしなかったけども」

「昔、そういう話を馬場さんや鶴田さんとしたんだって、こうして今話してても何か夢物語みたいな感じだな」。そう言って渕はブロディを偲んだ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る