【昭和~平成スター列伝】藤波辰爾が7月1日から6日にかけて、6選手を引き連れ悲願のネパール遠征を行った。藤波は2015年にネパールの大会に出場予定だったが、同年4月に発生したネパール地震の影響で遠征が中止になっていた。

鬼気迫る藤波がベイダーにワンハンドバックブリーカーを決めた
鬼気迫る藤波がベイダーにワンハンドバックブリーカーを決めた

 4日にカトマンズで試合を行い、超満員札止めの560人の観衆を集めた。日本とネパールのプロレス交流は大成功だったようだ。

 さて、現在72歳でレジェンドと言われる藤波が、新日本プロレスの現状改革を訴えアントニオ猪木に“初めて”反抗したのは1988年4月22日の沖縄・奥武山体育館だった。

 藤波は「ベイダーとシングルでやらせてください」と訴え、「やれるのかお前本当に!」と猪木にビンタを食らうや、「やりますよ」と張り返した。そして、ハサミで前髪を切り始める。後に「飛龍革命」と呼ばれるやりとりの末、大阪でビッグバン・ベイダーと特別試合を行い、リングアウトで勝利した。5月8日、有明コロシアムではIWGPヘビー級王座をかけベイダーとの連戦に臨んだ。

 試合の数日前、藤波は「潰されるか、体制が変わっていくか、二つに一つしかない」と悲壮な決意を語っていた。結果、藤波は反則勝ちながらベイダーを破り2代目の王者に輝いた。本紙は2面でこの試合を報じた。

「この日の藤波は大きく見えた。張り手には張り手のお返し。ドロップキック一発で、岩のようなベイダーを場外に吹っ飛ばした。ヘッドバットにも耐え抜いた。パンチにもひるまなかった。何発タックルをくったことか。消えかかる意識をなんとか奮い立たせ立ち上がった。(中略)」

「ロープ越しに藤波が飛んだ。回転エビ固め。あわててロープをつかんだベイダーだが、体はすでにバランスを崩していた。レフェリーがもがくベイダーの左手を蹴った。ベイダーがとっくに“死に体”だったからだ。左手の支えを失ったベイダーの両肩がマットについた。カウントが入る。辛うじてフォールは免れたが、ベイダーは錯乱。レフェリーは藤波の“助っ人”と、藤波にいいように扱われ動転していたベイダーが勝手に思い込んでしまった。レフェリーを突き飛ばすベイダー。ふた回りも体の小さい藤波に恐怖を味わわされたうえでの反則負けだった」(抜粋)

 ところで、藤波とベイダーといえば89年6月22日、長野・佐久大会での“事故”が知られる。バックドロップをめぐる攻防で腰を痛め、長期欠場に追い込まれた。翌90年9月30日の横浜アリーナで約1年3か月ぶりに越中詩郎を相手に、5分間のエキシビションマッチで復帰を果たす。

 藤波夫人の伽織さんは「ウィリーっていう名前の愛犬が主人の腰を治して、代わりに逝った」と衝撃的な秘話を語った。ペットが飼い主の心身の不調や厄災を肩代わりしてくれる存在であると語られることがあるが、実体験したことを教えてくれた。

 料理が得意で「藤波家の食卓」でフードコーディネーターとしても活躍する伽織夫人。藤波は間違いなく伽織夫人に支えられ、プロレスに没頭できている。
 (敬称略)