〝炎の飛龍〟藤波辰爾(72)が、2日に肺炎により76歳で亡くなった元ボクシングWBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松さんを悼んだ。

 ガッツさんの死去は11日に所属事務所から発表された。ガッツさんは東京スポーツ新聞社時代にボクシングも担当していた元新日本プロレス取締役の故永島勝司さん(享年82)を介し、故アントニオ猪木さんとも密な交流があった。1986年10月9日の新日本両国国技館大会では、猪木さんと元WBA&WBC世界ヘビー級統一王者レオン・スピンクス(故人)の試合でレフェリーを務めたこともある。

 そんなガッツさんとは藤波も親交があった。81年12月14日に京王プラザホテルで伽織さんと結婚披露宴を行った際、藤波はサプライズでリングを組んで付け人の仲野信市と試合をしたのだが、そこでもガッツさんはレフェリーを務めていた。「打ち合わせなんかしてないのに、ガッツさん自身が靴も靴下も脱いで、率先してリングに上がってレフェリーになるシチュエーションを作ったんだよね。新日本プロレスのレフェリーもいたんだけど、ガッツさんがやった方が皆さん喜ぶじゃない。1200人くらい来てくれてたんですけど、大盛り上がりでしたよ」と目を細めた。

ガッツ石松(左)とミット打ちする藤波辰爾(1992年)
ガッツ石松(左)とミット打ちする藤波辰爾(1992年)

 さらに藤波が1992年7月8日の横浜武道館大会でリチャード・バーンとの異種格闘技戦に臨むことになると、ガッツさんはトレーナーを買って出てくれた。「伊豆高原でキャンプを張ってね。俺もその気になりましたよ。だってガッツさんがミットを持ってくれて俺が打つんだもんね。最後の方は形になってきたのかガッツさんがうまかっただけなのか分からないけど、いい音がするようになったんですよ。あれは気持ちよかったな。ロッキーの気分ですよ。夜には一緒にうまい酒を飲んで。あれはうまかったなあ…」

 藤波はガッツさんから伝説の「幻の右」も伝授され「素質はすごい。米国でヘビー級のボクサーとやっても大丈夫」と太鼓判も押された。当日はガッツさんもセコンドに付き、特訓の成果もあって藤波が5R43秒、ヒザ十字固めでバーンを下している。キャリア唯一の異種格闘技戦は、ガッツさんとのかけがえのない思い出だ。「教え方もうまいし、頭はキレるしものすごく真面目。テレビタレントとしての面白いキャラクターを持っていたけど、ものすごく芯を持っている人だったよね。何をするにもものすごく真剣だったし、こういう人が王者になるんだなって思いましたね」と振り返りつつ「本当に親身になって相談に乗ってくれて、コーチも買って出てくれて感謝しかないです。もう一度お会いしたかったですね。ご冥福をお祈りします」と故人を偲んでいた。