【前田日明(11)】1983年の夏に新日本プロレスでクーデターが起き、最終的に新間(寿)さん(※1)がユニバーサル・レスリング連盟(UWF)を結成。個人としては、どっちがいいとか悪いとか、どうでもよかった。山本(小鉄)さんにも新間さんにも、みんなに世話になってるからさ。

 ただ、当時の(アントニオ)猪木さんと新間さんのことを考えると、銀行が融資してくれないから新日本の資金繰りがヒヤヒヤなんだよ。資金的な土台をつくらないといけないと「アントン・ハイセル」(※2)って事業に取り組むけど、失敗。そこで猪木さんの起死回生の策は、新日本の放映権を持つテレビ朝日にフジテレビを加えた2局放送で権料を今までの倍取ろうとした。

 でも、新日本と交わした契約書にテレビ朝日の独占契約の文言が入ってるから、別団体のUWFをこっそり子会社としてつくったってこと。かん口令を敷いた上で俺たちが「新日本に不満があるから辞めた」という建前を言われた通りにしゃべったよ。気持ちもなにもない。俺らの時代は「イエス」しかないから「UWFに行け」と言われたら行くしかないんだ。

 それが嫌だったら自分でメシを食うしかないんだけど、当時母親(幸子さん)が大きなケガをし、多額の手術代や入院費が必要で「ユニバーサルは新日本よりギャラがいい」と言われて入団を決めた。母親の件がなければ、試合の経験を積みたいと思っていたから藤波(辰爾)さんみたいに海外へ行っただろうね。

 猪木さんは俺に「後から(ユニバーサルに)行くから」「旗揚げ戦(84年4月11日、大宮)にはちゃんと出る」って。ポスターに写真も入っていたけど、テレ朝との契約違反で違約金が発生するから当然、試合に出られない。旗揚げ戦では観客から、試合に出ない猪木コール、長州(力)コール、藤波コールが起こっていたね。

 表向きは新日本の在り方に異を唱えて、猪木さんを裏切って旗揚げしましたよ、というストーリー。その通り忠実にやったよ。猪木さんが合流しないのは「話が違うな」と思ったけど、以前、猪木さんに付き合って「アントン・ハイセル」の借金返済へ行ったことあるんだ。そこで苦労してる姿も目撃してるから「まあまあ」ってね。

 でも、それじゃプロレスは盛り上がらないからね。経験の少ない当時の俺の頭では「猪木さんに捨てられた」「ぶっ殺してやる」って言うしかなかったんだよ。

 ※1元新日本プロレス専務、元WWF会長
 ※2ブラジル政府を巻き込んだバイオ燃料事業

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。