ボクシングの元WBC世界ライト級王者でタレントとしても活躍したガッツ石松さんが、2日に都内の病院で肺炎により死去していたことが11日、所属事務所から発表された。
名ボクサーの訃報を受け、〝燃える闘魂〟こと故アントニオ猪木さん(享年79)のマネジメント会社だった猪木元気工場(IGF)は、猪木さんの公式Xで「ガッツ石松さんの訃報に接し心よりお悔やみ申し上げます」と、追悼コメントを発表した。生前の猪木さんとガッツさんは親交が深く、リング内外で交流があった。
最も知られているのは、ガッツさんが猪木さんの試合のレフェリーを務めたこと。1986年10月9日の新日本プロレス両国国技館大会で、猪木さんは元WBA&WBC世界ヘビー級統一王者レオン・スピンクス(故人)と対戦。3分12ラウンドの異種格闘技戦を、ガッツさんが主審として試合を裁いている。
この試合は7R、スピンクスのパンチでKO負け寸前だった猪木がルールでは禁じられた関節技の腕ひしぎ十字固めを仕掛けて形勢逆転。8Rには反則の関節技を決めたまま、体固めでカバーした。ガッツさんは何のためらいもなく3回マットを叩き、猪木の手を上げた。あまりにあっけない幕切れに観衆からは「エーッ!」と驚きの声も…。カオスすぎる決着は、名勝負を連発した燃える闘魂の数少ない〝迷勝負〟とされている。
ガッツさんが世界王座から陥落した直後の76年6月26日に蔵前国技館で行われた、猪木vsモハメド・アリの格闘技世界一決定戦でも、会場や公開練習の場(後楽園ホール)に駆けつけて猪木さんに協力した。84年9月20日に大阪府立体育会館で猪木さんは、大相撲の人気力士・小錦の兄、アノアロ・アティサノエと異種格闘技戦で激突。その際にガッツさんは小錦兄のコーチ役を買って出て、試合でもセコンドに就いた。
さらに89年7月、猪木さんがリングを離れて参院選比例代表選挙に「スポーツ平和党」として出馬したときも、ガッツさんは出陣式に駆けつけ、猪木さんの政界入りにエールを送っている。猪木さんとガッツさんを近づけたのは、東京スポーツOBで後に猪木さんの右腕となった元新日本プロレス取締役の故永島勝司さん(享年82)。〝平成の仕掛け人〟は生前、何度も自慢げに口にしていた。
名ボクサーと名レスラーの親交は昭和の格闘技を華やかに彩っていた。














