【昭和~平成スター列伝】“炎の飛龍”ことドラディションの藤波辰爾が昨年12月28日で70歳の誕生日を迎えた。新日本プロレスで頂点を極めながら、いまだに黒のショートタイツを身につけて若い選手たちと試合を続けるバイタリティーとコンディション維持は超人的というしかない。

ダイビングニードロップを決める
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ドロップキックでバーンを場外に突き落とす藤波
ドロップキックでバーンを場外に突き落とす藤波

 70歳初のドラディション大会(3月5日、後楽園)では、全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・宮原健斗との6人タッグ戦が予定されていたが、インフルエンザ感染で欠場となった。改めて70歳記念大会の開催に期待したい。

 藤波は1978年1月にWWWF(現WWE)世界ジュニアヘビー級王座を獲得して「大ドラゴンブーム」を巻き起こし、ヘビー級に転向するとWWFインターナショナルヘビー級王者となり長州力と「名勝負数え唄」を展開。IWGPヘビー級王座、NWA世界ヘビー級王座にも輝いて15年にはWWE殿堂入りも果たした。

 そんなストロングスタイルの王道を貫いてきた藤波は、一度だけ異種格闘技戦を経験している。92年7月8日横浜文化体育館で韓国空手の達人リチャード・バーンと戦った一戦である。

 藤波は1月4日東京ドームで長州に敗れIWGP王座を失うと、同29日に「燃えるものがなくなった」とスランプを告白して長期欠場。そんな藤波に再起を促すべく組まれた一戦だった。

 試合が決まり闘志に火がついた藤波は6月からボクシングの練習に取り組み、7月1日からは元WBC世界ライト級王者のガッツ石松氏と合宿を敢行。伝説の「幻の右」を伝授され「パンチはヘビー級。素質はすごい。米国でヘビー級のボクサーとやっても大丈夫」との太鼓判を押されている。

 一方、200センチ125キロのバーンは5日に来日し早速公開練習を披露。130キロのサンドバッグに重量感あふれるキックを連打して実力を披露。空手、柔道、合気道、テコンドーなどの格闘技戦も経験。韓国空手は20年無敗のキャリアを明かし「藤波の研究は必要ない。キックが当たれば一発で相手のその個所は破壊され、試合続行は不可能になる」と豪語した。

 藤波のグローブ着用、顔面攻撃、グラウンド技禁止などルール問題は難航したが、10キロ減量した藤波は素手でリングに上がった。本紙は1面で試合(3分10R)の詳細を報じている。

『1R、藤波がゴングと同時に飛び出す。重い蹴りがきても腕やヒジで巧みにブロック。ボクシング特訓の成果だ。素手にバンテージを巻いただけの藤波は素早いパンチを繰り出す。2R、ドラゴンスリーパー、逆十字と動きも軽い。さらにボディーから左フックを顔面に打ち込む。ここで“事件”が起きた。バーンが「素手の顔面打ちはルール違反。グローブを着けろ」と要求したのだ。レフェリーもこれを認めて、藤波は3R以降、グローブを着用した。それでも強烈なアッパーでダウンを奪うと、4Rもパンチを叩き込む。焦るバーンは右回し蹴りを空転させ場外転落。さらに場外では蹴りが鉄柱に誤爆し、藤波のドロップキックを浴びた。5R、足を引きずるバーンに左フック、脳天砕き、最上段からヒザ爆弾を落とすと最期はヒザ十字。バーンはグローブが吹っ飛ぶほど苦悶し、5R43秒、藤波がギブアップを奪った』(抜粋)

 完勝だった。「最後はプロレスの技だったけど2か月の粗削りなボクシングではあんなもの。でもいい経験をした」と後述している。この一戦で迷いを断ち切った藤波は完全復活。翌年のG1クライマックスでは馳浩との決勝戦を制し、初優勝を果たした。長いキャリアで何度も壁に当たっては乗り越えてきた藤波。改めて古希を迎えた記念大会での雄姿が見たい。 (敬称略)