【昭和~平成スター列伝】今年は日本プロレスの祖・力道山が生誕して100年目を迎える。先週は35歳の大活躍について触れた。「ワールド大リーグ戦」が大成功して第2次黄金期に突入した時期だった。
翌1961年の「第3回ワールド大リーグ戦」には“密林王”グレート・アントニオが初来日。全国各地で熱狂的な人気を集めて大旋風を起こした。193センチ、210キロ。カナダの山奥で発見されたという経歴と風貌はファンを興奮させて大ブームを呼んだ。
WWF(WWE)で活躍していた時期もあったが、日本ではパフォーマンス先行というか“見せ物”的要素が強かった。来日翌日の4月28日には、児童を乗せた8トンバス3台を鎖で引っ張るパフォーマンスで日本中を驚かせている。
リーグ戦開幕戦の5月1日東京体育館では大ベテランの遠藤幸吉をフライングソーセージ(人間圧殺弾)で一蹴。大観衆を驚かせた。しかし不思議なことにリーグ戦消化はこの1試合のみ。他の大物選手とはからむことはなく、連日若手との5人掛けを中心にハンディキャップマッチに終始。若手をまとめて圧殺する迫力は日本各地で目玉カードになった。
力道山は“見せ物”的な試合の方が怪物性が際立つと判断したのだろう。密林男は連戦連勝を続けた。ハンディ戦では14日小倉でトップ格の芳の里を、19日広島では大木金太郎を圧殺弾でフォールした。26日には6月2日蔵前国技館で力道山のインターナショナルヘビー級王座挑戦が決定。本紙は詳細を1面で報じている。
「アントニオの猛攻に耐えた力道山は足をグイッとつかんでリング下に転落させると、場外で後頭部に空手チョップを浴びせグロッギーにさせる。アントニオはそのまま立てずカウント20が入った(4分0秒)。2本目はアントニオもパンチをふるうが、力道山も空手チョップの雨あられ。しかし怪物が体当たりに出ると、力道山は身を沈めてアントニオはコーナーに水月を強打して倒れる。そのまま力道山が体固め(1分58秒)。10度目の防衛に成功した」
要するに勝負にならなかったわけだ。地に堕ちた密林男は、6月7日名古屋で若手5人がかりの逆エビ固めに初めてギブアップ負け。リーグ戦は力道山がミスターXを撃破して3連覇を達成した。
ところでアントニオは人気を鼻にかける傲慢な性格で他の選手に嫌われ、カール・クラウザー(カール・ゴッチ)とX(ビル・ミラー)ら実力者に制裁を受けたという伝説が残っている。本紙はその試合を報じている。
5月21日岡山のクラウザー戦では「クラウザーはものすごいスピードでパンチ、ヒジ打ちで顔面を狙い、鼻のあたりに強烈な頭突き(!)。さらに顔面に蹴りを入れて血だるまにする。そのまま場外で殴り合いカウントアウトになった」とケンカファイトで制裁を加えている。そのダメージがあってか、翌22日広島のライト戦は顔面を大きく腫らし、試合にならないまま反則負けを喫した。
契約満了試合の6月9日高松のX戦では「Xは顔面にパンチを集中。頭突き3連打でアントニオは横転。トドメの頭突きと首へのキックで1本目を奪った」。ほとんどストリートファイトである。そのまま密林男は顔面を大きく腫らし試合を放棄。怪物は完全に実力を露呈した感が強く、ひっそりと帰国した。
77年には新日本プロレスに16年ぶりの来日を果たすも、アントニオ猪木に制裁を加えられて無残なKO負けを喫している。人気を極めた怪物の終焉は何とも悲哀に満ちたものだった。
(敬称略)













