【昭和~平成スター列伝】今年は日本プロレスの祖・力道山が生誕して100年目を迎える。1月には「力道山生誕100年プレイベント第1弾」も開催されており、本格的なイベントにも期待がかかる。
力道山は1924年11月14日生まれ、63年12月15日に39歳の短い生涯を閉じた。50年代に日本にプロレスを持ち込み全国に熱狂的な大ブームを呼んだが、レスラーにとって最も脂が乗りきっているとされる35歳の60年は、特別な年となった。故ジャイアント馬場さんと故アントニオ猪木さんが入門。新たな時代の幕開けを予感させた。また前年に開催した「ワールド大リーグ戦」が大成功し、落ち込んでいたプロレス人気が復活して第2次黄金期に突入していた。
余談になるが力道山はこの年の1月15日大阪で、看板であったインターナショナルヘビー級王座5度目の防衛戦で伏兵ジム・ライトに反則負けで敗れている。亡くなるまで20回連続防衛を果たしているが、これが唯一の敗北となっている。反則負けのため王座移動はなかったが、1月30日東京体育館のリマッチでは2―1でライトを一蹴。6度目の防衛に成功している。いずれも本紙創刊(60年4月)前の試合で詳細を報じられないのは残念である。
この敗戦に奮起したのか、力道山はここから怒とうの快進撃を見せ、5月13日東京体育館では、弾丸タックルで一世を風びしたレオ・ノメリーニと決勝戦(時間無制限3本勝負)で激突する。ノメリーニは、55年に反則裁定ながらあの“鉄人”ルー・テーズの連勝記録を936でストップさせた超強豪だった。通算成績は力道山の1敗1分け。本紙は1面で詳細を報じている。
『1本目からレオは得意のフライング・タックルで力道山をおどかしたが、力道山はマットに深く沈んで軽くいなした。3本目のタックルは寝ながら片足をかけて逆片エビ固めへ。この作戦は見事であった。しかしレオのタックルは強烈で1本目を取られた。これで「何くそ」と奮起した力道山は空手チョップのつるべ打ち。レオはなすところなくダウン。それぞれの得意技で1―1となった後、レオは寝技に誘いクリスフィック(逆十字固め)を出して、最大のヤマ場を迎えた。しかしこれを力道山は見事に外した。得意技を外されたレオは焦り、タックルにいったが、力道山は焦りを巧みに利用した。体を大きくかわされ、最大の武器で場外に転落して自滅(カウントアウト負け)してしまった。相手の動きを計算した力道山の作戦はさすが。防御から攻撃。プロレス史に新しい1ページを飾った』(抜粋)
力道山は2連覇を達成して死去するまで5連覇を記録した。この年はインターナショナル王座5度の防衛に成功。6月には4年間、封印されていたアジアタッグ王座を復活させて、豊登と王座を獲得する大活躍を見せた。
そして9月30日台東体育館では馬場と猪木がデビュー。馬場は田中米太郎に股裂きで勝利。猪木は大木金太郎に逆腕固めで惜敗している。力道山が35歳で全盛を誇っていた60年は、新たなプロレス黄金時代の幕開けでもあった。(敬称略)













