【昭和~平成スター列伝】新日本プロレスのオカダ・カズチカ(36)が、1月末をもって同団体を退団した。2月以降はフリーとして参戦し、24日札幌大会の10人タッグ戦がラストマッチとなった。東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」では故アントニオ猪木さんに次いで歴代2位となる5度のMVPを獲得。誰もが認める日本プロレス界のトップとして君臨してきたオカダは今後、米国マット進出が確実視されている。

勝利後、オカダはふてぶてしく棚橋を踏みつけた
勝利後、オカダはふてぶてしく棚橋を踏みつけた

 オカダは2012年1月に凱旋帰国。2月にはいきなり棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を獲得して、一気にトップの座へ駆け上がった。今月11日大阪では最大のライバルであった棚橋とラストマッチを行い、レインメーカーで勝利。号泣しながら抱擁を交わし、オカダは「やっぱりレインメーカーというのは棚橋さんあってのレインメーカーだし、大阪っていう場所もレインメーカー始まりの場所だし…泣きすぎでしょ」と感極まって語った。

 オカダは12年1月4日、東京ドームでV11中の絶対王者だった棚橋に挑戦を表明。当時はマネジャーの外道に代弁させて不遜な態度を貫いた。当然、ファンの反感も大きく「早すぎる」「実績不足」の酷評にさらされた。当時の本紙はオカダを“ブーイング大魔王”と表現している。しかし2月12日大阪で挑戦が実現すると、一気にその前評判を覆してしまう。本紙はカラー終面で試合を報じている。

『連続防衛記録更新中の棚橋のV12を止めたのは、24歳の若きチャレンジャーだった。試合が動いたのは20分過ぎだった。ハイフライフローをヒザで迎撃すると変型牛殺し、DDTなど怒とうの首攻めで王者を圧倒。最後は棚橋のスリングブレイドを切り返すや、カウンターのレインメーカー(ショートレンジのラリアート)を叩き込み、IWGP史上に残る大金星で頂点に立った。「新日本にカネの雨を降らせる」という意味から「レインメーカー」を名乗るオカダだが、あえてカネ、カネ、カネにこだわるのにはプロレス人生のスタートに理由がある。兄の影響で中1からプロレスにのめり込んだオカダは、中学卒業後にウルティモ・ドラゴンが校長を務める闘龍門に入門。単身メキシコに渡った。苦難を乗り越えて04年8月に16歳でデビューした。“初任給”は50ペソ。当時のレートで約500円のファイトマネーが1年も続いたという。交通費込みのため、手元には20ペソしか残らないこともあったという。日給200円はいくら何でも安すぎる…。道場暮らしで食費に困らないのは不幸中の幸いだった。まさに“最下層”からIWGP王座にまで上り詰めた男だからこそ、現在のマット界の地位向上にこだわり続ける』(抜粋)

 棚橋とのシングル戦は9勝5敗3分けだったが、間違いなくオカダをスターの座に押し上げたのは棚橋だった。

 オカダは12年3月4日後楽園では内藤哲也と17年ぶりの20代同士のIWGP戦を実現させて初防衛。この2人の試合もやがて黄金カードへ昇華する。オカダは実力と突出したスター性で自らブーイングをやがて大歓声に変えていった。00年代は棚橋と中邑真輔が団体を再建させ、10年代はオカダと内藤が新日本を業界の盟主の座に導き、プロレスを世間に発信した。戦う場所こそ違っても、激闘を通じて得た選手たちの“絆”は永遠に消えることはない。 (敬称略)