【昭和~平成スター列伝】全日本プロレスが大激震に見舞われている。昨年から大森隆男、ヨシ・タツ、木原文人リングアナウンサー、今年になって石川修司、ブラックめんそーれらが大量離脱。“大巨人”石川は退団直後にノア参戦を発表。昨年にはジェイク・リーもノアに移籍しており、王道マットは大混乱を迎えた。危機に面した団体の今後が注目される。

 全日本は何年か置きに大量離脱劇が起き、そのたびに団体は再建するという不思議な歴史を繰り返している。1987年2月にはジャパンプロレス勢が分裂して長州力らが離脱。観客数は激減して団体の経営も危機を迎えた。このピンチを救ったのが、ミスタープロレスこと天龍源一郎だった。 

 同年6月に阿修羅原との「龍原砲」を結成するといわゆる天龍革命に着手。ジャンボ鶴田や輪島大士を相手に、UWFも真っ青のゴツゴツした過激なプロレスを展開。格闘王・前田日明氏も「危機感を感じた」というほどの激しい試合内容で団体を立て直し、やがて鶴田やスタン・ハンセンとの3冠戦で再び黄金期を築き上げた。

 しかし90年4月にはその天龍を筆頭に選手が大量離脱。団体は最大の危機を迎えた。しかしこのピンチを逆にチャンスに変えて三沢光晴、小橋健太(現・建太)、川田利明、田上明らの“四天王プロレス”が一気に開花。従来のプロレスを超える壮絶な戦いを展開して90年代に大ブームを巻き起こし、旗揚げ以来最大の収益をもたらした。

復帰した天龍は10月に約11年ぶりに3冠王座を獲得した
復帰した天龍は10月に約11年ぶりに3冠王座を獲得した

 ところが歴史はまた繰り返す。2000年7月には三沢を筆頭に選手、スタッフ総勢40人以上が退団し、ノア旗揚げに向かったのだ。残った所属選手は川田、渕正信、マウナケア・モスマン、馳浩のみで「今度こそ全日本は潰れる」とささやかれたほど存続の危機を迎えた。このピンチを救ったのが、くしくも10年前に離脱した天龍だった。

 00年7月2日後楽園には天龍がサプライズ登場。ジャイアント馬場さんの元子夫人と和解して全日本復帰を宣言したのだ。本紙はこの衝撃的な“事件”を3ページにわたって報じている。
『「川田選手と握手してもらいたい人がいます。天龍源一郎選手です」と馬場元子オーナーが涙ながらに声を振り絞ると、黒スーツ姿の天龍がゆっくりと西の花道から姿を現した。超満員の観衆が狂喜乱舞する中で川田らとガッチリ握手。全日マットを踏みしめた。熱狂的な大歓迎を受けた天龍は上気した表情で「足が震えた…。これでプロレスにまい進できる」と決意を語った。今後は天龍と川田の戦いが軸となるが、注目は空位の3冠王座。天龍と川田によって行われるのは確実で、ズバリ創設28周年大会の10・28日本武道館が有力だ』(抜粋)

 記者は大会を取材に当たったが、あれほどの衝撃は記憶にない。完全にトップシークレットとされ、天龍と元子夫人、和田京平レフェリーしか登場を知らなかったのだ。

 後日、天龍は「とにかく足が震えた。大ブーイングが起きるんじゃないかと内心ビクビクしていた。それがあの大歓声だ。目の前にパーッと青空が広がったよ。どこへ行っても『全日本の天龍』という名前はついて回る。消えてほしくはなかったんだ」と語っている。

 天龍は7月23日武道館のタッグ戦で全日復帰戦を果たすと、10月28日武道館での王座決定トーナメント決勝で川田を撃破して、約11年ぶりに3冠王座を奪取した。その後、02年2月に武藤敬司ら4選手が移籍入団。王道マットは完全に持ち直した。武藤参戦後、再建の役目を全うした天龍は03年に新たな戦いの場を求めて撤退したが、全日本のピンチを招いた天龍が、10年後に“救世主”となったのは、まさにプロレスにしかないドラマだった。 (敬称略)