【昭和~平成スター列伝】ミスタープロレスこと天龍源一郎が、天龍プロジェクトの19日の後楽園ホール大会で約1年3か月ぶりにリングに登場。ファンに元気な姿を披露した。

谷津に延髄斬りを見舞う天龍。まさに絶頂期だった
谷津に延髄斬りを見舞う天龍。まさに絶頂期だった

 昨年9月に突然死のリスクが高いとされる「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症」のため入院。今年2月には敗血症性ショックで緊急手術を行うなど、闘病生活を続けていた。約10か月の入院生活を経て6月に退院したが、心臓の不具合が見つかり8月に手術。9月19日に退院していた。

 シングルトーナメント「第3回龍魂杯」決勝戦を見届けた天龍は「やはりリングは感無量。もうちょっと戻ったら会場に毎回顔を出して、選手を励ます」と満面の笑みを見せた。

 天龍といえば古巣の全日本プロレスでは暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」が開催中だ。今年は全10チームが参戦。ノアから移籍していきなり3冠ヘビー級王者となった中嶋勝彦は、大森北斗と組んで祭典を席けん中だ。

 天龍は最強タッグでジャンボ鶴田(84、86年)、スタン・ハンセン(89年)とのコンビで3度の優勝を飾っている。しかし一番熱く燃え盛ったリーグ戦は“天龍革命”を起こした87年、盟友の阿修羅原と組んで出場した時だろう(革命前の82年にも参加)。

 天龍は同年5月に「もうジャンボのお守りはしたくない」と鶴龍コンビの解散を発表。6月には遺恨が続いていた原とのコンビ結成を発表。王道マットに革命を起こすべく激しいファイトを展開。9月にはPWF世界タッグ王座を奪取し、暮れのリーグ戦に出陣した。しかし強豪チームとの引き分けが痛手となり、最終戦12月11日武道館ではハンセン、ゴディ組と痛恨の両者リングアウト。メインでは鶴田、谷津の五輪コンビがブロディ、スヌーカ組を撃破して勝ち点15で優勝。龍原砲は14点で惜しくも2位に終わった。

 公式戦の天王山となったのは12月4日福岡の鶴田、谷津組戦。事実上の決勝戦と呼ばれた。

『天龍の“熱き心”が鶴田という底なし沼にはまり込んだ。鶴田の顔面ニーで額を叩き割られたが、20分過ぎには谷津にサンドイッチラリアート、起死回生のジャーマンスープレックスも決まらない。そして30分時間切れ引き分けのゴング。天龍組には痛い1失点となった。天龍は「変に力が入り過ぎた。俺たちはリーグ戦のことは頭になかったが、向こうは失点しないような試合だった」と語り、原は「奴ら相手に勝ちにいくのはしんどい。日本人じゃ鶴田組と勝負をつけるのは難しいよ」と語った』(抜粋)

 準優勝に終わったものの、龍原砲のこの年の暴れっぷりは絶大なインパクトを残し、優勝した鶴田組を差し置いて、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」最優秀タッグ賞を獲得する。天龍は後に「ジャンボと戦う時はガーッと行けるんだが、組むとタイミングがどうしても合わなかった。俺自身ジレンマを感じていたからね。だから阿修羅という最高のパートナーを得て、俺自身も生き返った。毎日が楽しかったよ」と語っている。

 だが88年10月に原が解雇されたため、龍原砲の最強タッグはこの年が最後となった。天龍は川田利明、ハンセンとパートナーを替えたが、やはり原との「阿吽(あうん)」の呼吸は望むべくもなかった。90年に全日本を退団した天龍は、SWSを旗揚げすると、91年8月に約3年ぶりに原を復帰させ、その後はWARでも龍原砲を復活させた。原は94年10月29日後楽園で引退。一度も優勝することはなかったが、龍原砲は間違いなく最強タッグの歴史に名を刻みこんだ名チームだった。 (敬称略)