2015年11月15日に引退したミスタープロレスこと天龍源一郎は8月23日に「治療を要する症状がみつかり、現在入院をしております」と公式X(旧ツイッター)で報告。22日には娘の天龍プロジェクト代表の嶋田紋奈氏が、無事に退院したことを報告してファンを安心させた。現在は約1年ぶりとなる11月19日後楽園大会のリングに立つことを目標に自宅で療養を続けているという。やっぱりすごいオヤジだ…。

武藤に延髄斬りを見舞う天龍
武藤に延髄斬りを見舞う天龍

 全日本の3冠ヘビー級王座、新日本のIWGPヘビー級王座(現IWGP世界ヘビー級王座=21年3月にIWGPインターコンチネンタル王座と統一)など多くの勲章を得た天龍はいずれの王座も最年長記録を保持していたが、2月には新日本の永田裕志が宮原健斗から54歳9か月にして3冠ヘビー級王座を奪取。天龍の持つ同王座最年長戴冠記録(52歳2か月)を約21年ぶりに大幅に更新した。

 しかしIWGPヘビー級王座の最年長戴冠記録は、天龍が保持する49歳10か月が残ったまま、現在の王座に至っている。

 天龍が偉業を達成したのは1999年12月10日、大阪の武藤敬司戦。王者の武藤は5月3日、福岡で大激闘の末に天龍を退けて防衛に成功しており、この一戦は同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ベストバウトに選出された。それだけに約7か月ぶりの再戦に対するファンの期待は大きかった。本紙はこの一戦の詳細を報じている。

『「馬場、猪木をフォールした唯一の日本人レスラー」という勲章を持つ天龍。全日マットの頂点にも立ち、大仁田厚との電流爆破マッチにも臨んだ。プロレス界のすべてを制圧してきたが、残っていたのがIWGPのベルトだった。1900年代のファイナルバウトでつかんだラストチャンスに天龍が燃えた。10分過ぎ、ポスト最上段からの人間爆弾。カサにかかる天龍はドラゴンスクリューから足4の字固め。武藤が今年、6回の防衛を成功させた必殺パターンで精神的ショックを与えた。それでも武藤はしぶとい。天龍はエプロンでのドラゴンスクリューからリング下へ叩き落とされ、雪崩式フランケンから足4の字固めにつかまる。20分過ぎ、ポスト最上段に武藤が駆け上がると、天龍は雪崩式バックドロップで投げ捨てると急降下ヒジ爆弾で追い打ちだ。粘る武藤のバックブリーカー、バック宙キックをハネ返すやラリアート、延髄斬りからノーザンライトボムを連発。さしもの武藤も3カウントを聞かされた。何ともうれしそうにベルトをみつめた天龍。追い求めてきた最後の宝モノをようやく手に入れた男の笑顔は輝いていた。「このベルトは新日本の軌道を左右する」と天龍は言い切った』(抜粋)

 翌日、新大阪から新幹線に乗って帰京しようとした天龍は、中年のサラリーマンから「あなたは中年の鑑です…」と泣きながら握手を求められたとの逸話も残る。00年1月4日、東京ドームの初防衛戦で佐々木健介に敗れたが、99年の武藤との名勝負連戦は永遠に記憶に刻まれる。

 天龍は00年7月、三沢光晴らノア勢が大量離脱した後の全日本に約10年ぶりに復帰。同年10月28日、日本武道館で川田利明との空位王座決定トーナメント戦を制して約11年ぶりに3冠王座を奪取。02年4月13日、武道館でも空位の王座決定戦を制して、最年長戴冠記録をマークする。その相手もまた武藤だった。やはりこの2人は不思議な運命の糸につながれているとしか思えない。

 近年はケガや病気と闘う日々が続く天龍だが、11月19日後楽園では久々にリング上に立つ雄姿を見たい。(敬称略)