アントニオ猪木にほれ込み、ブロンズ像を作り続けてきた男がいる。熊本の老舗「ビア・ホールMAN」の伝説のマスター、村田善則さん(92)だ。店はレスラーやプロレスファンが集う場所となり、スペアリブや馬力焼を目当ての客も多い。いじめられた少年時代、荒れた青年期、猪木との出会い、そして今も失わない“強さ”への思い。その言葉には、破天荒な半生を生き抜いてきた男の哲学がにじんでいた。

店には貴重なツーショット写真もズラリ
店には貴重なツーショット写真もズラリ

 左足の神経痛で店に立つ機会は減った村田さんだが、「ビア・ホールMAN」に顔を出せば客に「飲め飲め」と振る舞う。「人にごちそうするのが好き」と笑い、料理は作らなくなっても、その存在だけで場の空気を変える。丸いカウンターも「全員と話せるように」と自ら考えたものだ。父の影響でビールを覚え、今も朝の食事で缶ビール1本を「お茶代わり」に飲む。酒は人とつながる手段でもあり、店の空気をつくる役割も担っている。

 原点は弱さだった。小学生時代はいじめられ、誰にも言わず耐え続けた。「強くなる」と決め、夜中に海に通い、溺れそうになりながらも泳いで体を鍛えた。石の上げ下げや腕立て伏せを繰り返し、自分を追い込み、やがて強い相手に自ら「けんかしてください」と頼むようになった。その延長でボクシングに打ち込み、社会に出てからは様々な仕事を経験し、自分の店を構えるまでになった。

 その価値観を大きく変えたのが猪木との出会いだった。威張る人物だと思っていたが、実際は違った。酒の席でも控えめで、子供にも分け隔てなくサインをする。「本当に頭が低い。その人柄にほれた」。けんかで強さを求めてきた人生の答えが、そこにあった。

 関係は特別だった。「大親友」「兄弟分」と言い切る。猪木との交流は、店に初めて来た現役プロレスラー・藤波辰爾が「今度連れてきます」と話したことをきっかけに始まった。熊本で試合があれば選手を連れて店に来て、酒を飲み、歌を歌い、時間をともにした。猪木からは「MANのおやじさん」と呼ばれていたという。殿堂入りの指輪を外し、村田さんにはめさせてくれたこともあるという。現在も現役レスラーとの交流は続き、九州プロレスのTAJIRIも店を訪れる一人だ。「力道山は神様」。そう言い切り、店のTシャツにその横顔がデザインされているほど、思いは今も変わらない。

村田さんが制作した猪木ブロンズ像の数々
村田さんが制作した猪木ブロンズ像の数々

 猪木のブロンズ像は、その思いの延長だった。これまでに2000体以上を作ってきたといい、店を手放して量産に懸けた時期もある。「裸になった」と振り返るほどの大勝負だったが、利益ではなく思い入れで作り続けた。猪木が亡くなる直前、2度電話があった。「間違っちゃった」。短い言葉の後、間もなく訃報を知った。「残念無念」。その関係の深さがにじむ。

 今も強さへの意識は変わらない。かつてはベンチプレス90キロ、今も50キロを扱う。「世界最強を目指しとる」と笑うが、その目は本気だ。「けんかはダメだなと思う」とも語る。自分より弱い者をいじめず、心の強さを持つこと。「強い人間は優しい」。それが人生の答えだ。

 長生きの秘訣は「考えて食べること」。キムチ鍋や野菜を中心に自分で選び、作る。血液年齢は70歳相当と言われたこともある。「人に頼らんで生活できるうちはいい」。そして「センズリは今でもやりよる」と笑うのも、その衰えない生命力の表れだ。強さと優しさ。その答えにたどり着いた男は、今も真っすぐに生きている。

店の看板メニューはスペアリブ
店の看板メニューはスペアリブ