どれだけ優れた作品でも、読まれなければ届かない。TAJIRIが感じているのは、その距離の広がりだ。「今の若いレスラーって梶原一騎のこと知らないんですよ」。かつて当たり前のように共有されていた作品が、今は前提として通じない。世代が変わることで、土台そのものがずれていく。作品の価値が変わったわけではないが、届き方は大きく変わっている。

 勧めれば解決する話でもない。「読めばいいこといっぱい書いてあると思うんですけどね」。中身に力があることは疑っていない。ただ、それをそのまま押しつけるつもりもない。「これを読めって言ったら、ただの老害なんで」。自分にとって大きかった作品が、そのまま次の世代にも同じように届くとは限らない。

 実際、勧めても簡単には読まれない。「勧めたことはあるけど、誰も読まなかったですね(笑い)」。価値が伝わらないというより、読むきっかけ自体が生まれにくい。昔の作品に向かうには、自分から手を伸ばす理由が必要になる。その入り口は確実に細くなっている。

 理由の一つが、作品との距離だ。「売ってないんですよ。定価より高くなってたりもするし」。読みたいと思っても、書店ですぐ手に入るとは限らない。知っているかどうか以前に、目に入る機会そのものが減っている。作品の評価とは別のところで、接点が細っている現実がある。

 フリマアプリなどで探せば手に入る場合もあるが、「探さないと出てこないんですよね」という状況には変わりない。コンビニや書店で自然に出会う作品とは条件が違う。いまは、自然に入ってくるものと、自分で探さなければ出会えないものとの差がはっきりしている。

 その変化は作品の中身とは無関係に進んでいる。どれだけ強い言葉や構造を持っていても、手に取られなければ始まらない。昔は共有されていたものが、今は知る人だけのものになっていく。読むか読まないかではなく、出会えるかどうかが先に問われる時代だ。

 TAJIRIにとって梶原一騎作品は今も軸であり続けている。ただ、その軸が自然に共有される環境ではなくなった。どれだけ大切な作品でも、届く回路が細ければ広がらない。その現実が、そのまま今の漫画を取り巻く状況を映している。