昨年10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)の一周忌法要と「燃える闘魂 アントニオ猪木之像」の除幕式が12日に神奈川・横浜市鶴見区の総持寺で営まれ、プロレス界から関係者やレスラー120人が参列し、偉大な故人をしのんだ。ブロンズ像は筋骨隆々の全盛期の猪木をほうふつとさせる豪華なもので、ファンにとっては新たな“聖地”となるに違いない。
猪木がスーパースターへの第一歩を踏み出すきっかけとなったのは、初の米国遠征だった。1964年3月7日に豊登に伴われて、ハワイ入りした後に単身米国本土へ渡り、約2年の武者修行を積んだ。渡米直前の64年3月6日付本紙では「世界へ歩む猪木の前途」という特集記事が組まれている。
『“未完の大器”アントニオ猪木が7日、豊登とともにアメリカ大陸をマタにかけての武者修行へ旅立つ。目的はもちろん「世界一のタイトルを日本へ」というものだ。猪木はこの1年間でめっきり筋肉をつけた。加えて天性のカンのよさ、ブリッジに見せる柔軟かつ強じんな筋肉だ。まるでプロレスラーになるために生まれてきたような素質を誇る猪木は一段と成長を見せたのだ。元世界王者のディック・ハットンは「猪木は世界の歴代王者が持っていた要素をすべて兼ね備えた素晴らしい若者だ。エドワード・カーペンティアの柔らかいアクロバティックな動き、バディ・ロジャースばりのたくましい体、アントニオ・ロッカの足、ルー・テーズばりの技、パット・オコーナーの身のこなしと風格を持っている」と絶賛している。猪木は「トヨさんはじめ日本の皆さんの期待に応えられるよう頑張ってきます」と語っている』(抜粋)
力道山が死去して3か月後だけに、まだ21歳だった猪木に対する期待はあまりに大きかった。3月7日に日本をたってハワイ入りした猪木は3月11日(日本時間12日)、ホノルル・シビックオーデトリアムで米国初戦に臨む。相手は力道山とも死闘を演じた“巨象”こと当時のNWAハワイタッグ王者プリンス・カーチス・イヤウケアという大抜てきだった。
猪木は巧みなフットワークとスピードで巨象を翻弄すると、首折り落としで先制。2本目はイヤウケアの十八番サバ折りに捕獲されてタイとなった。3本目は『イヤウケアは反則のラッシュからパンチ、かきむしり、果ては猪木を場外に放り捨て、自分も飛び降りて乱闘。汚いファイトに怒ったセコンドの豊登がイヤウケアをサバ折りで絞り上げた。ゴングが乱打されてレフェリーストップで引き分けに終わった』(抜粋)。
ドローに終わったとはいえ大健闘である。現地のファンの評価と反応も高く、猪木は米国初戦で実力を証明してみせた。3月27日にはハワイを離れて単身米国本土に乗り込んでミズーリ、オクラホマ、カンザスの3州を中心に「トーキョー・トム」のリングネームで暴れ回り、実力をつけていく。その後は西海岸、中西部、南部をサーキット。デューク・ケオムカ、ヒロ・マツダらをパートナーにNWAタッグ王座を奪取した。もはや日本を出発した時とは別人のようになっていた。
約2年の米国修行を終えて66年3月に帰国途中にハワイで豊登の東京プロレスに引き抜かれるのだが、それはまた別の話である。遺骨は現在、米国在住の娘・寛子さんの元にあるというが、いずれ納骨される日が訪れるのだろう。米国はスーパースター、猪木の若き日の原点でもあった。













