プロレス界のレジェンドでWWE殿堂入りも果たした元NWA世界ヘビー級王者の“テキサスの荒馬”ことテリー・ファンクさんが、8月に79歳で亡くなった。本紙では多くのベテラン記者が、貴重な思い出と知られざるエピソード、愛すべき故人の素顔を披露した。記者は1990年代のハードコア時代しか取材していない。しかし実に温和な人柄で、試合前に米国マットの裏話を教えてくれたことを思い出す。

鶴田に必殺のローリングクレイドルを決めるテリー(右)
鶴田に必殺のローリングクレイドルを決めるテリー(右)

 65年にデビュー。70年代からNWA地区で名を上げ、兄ドリー・ファンク・ジュニアとのザ・ファンクスで日本プロレス時代から活躍し、全日本プロレス「世界オープンタッグ選手権」(77年12月)ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組と優勝を争い、ブッチャーのフォーク攻撃に耐えつつ勝利した伝説の勝負で一気にブレーク。全日本きっての人気者となり大ブームを巻き起こした。

 テリーは75年12月10日にジャック・ブリスコを撃破してNWA王座を獲得。史上初の兄弟世界王者となった。「兄貴がこの王座を4年3か月も守ったのはすごいと思う…」と率直に感動を表現していた。テリーは77年2月にハーリー・レイスに敗れるまで王座を保持したが、意外ながら日本ではわずか1度しかNWA王者として防衛戦を行っていない。 

 当時売り出し中だったジャンボ鶴田の「試練の十番勝負」第3戦(76年6月11日、蔵前国技館)で挑戦を受けたもので、本紙は1面で詳細を報じている。

『全日本プロレスの若きエース・ジャンボ鶴田が散った。注目のNWA世界ヘビー級選手権は11日夜、蔵前国技館で行われた。鶴田は王者テリー・ファンクを相手にけれんみのないファイトで戦いを挑んだ。1本目はテリーのダブルアームスープレックスをかわし、一瞬の虚をついて回転エビ固め連発で見事に先制(15分50秒)。ところがテリーはコブラツイストを狙った鶴田を必殺のローリングクレイドルホールド(回転揺りイス固め)で仕留めてタイに追いついた(6分5秒)。決勝ラウンドは壮絶な大技合戦。鶴田のサイドスープレックス、バックドロップが次々と爆発。両雄一歩も引かない好勝負となったが、勝利の女神はテリーに微笑んだ。鶴田がジャンピングボディープレス。モロに受けたテリーの腰が砕けた。あおりを食った鶴田はノドをトップロープに強打してのたうち回る。そこをテリーが一気の片エビ固め(5分12秒)。王座防衛を果たした。鶴田の十番勝負は1敗2分けとなった』(抜粋)

 意外だがテリーは9日の新潟大会でジャイアント馬場とノンタイトルで60分3本勝負を行い、1対1の引き分けに終わっている。王座戦でもおかしくなかったが、馬場は前年12月2日鹿児島で、テリーが勝ったブリスコから日本人として初めてNWA王座を奪っているだけに、当時31歳だった荒馬に「格の差」を見せたかったのだろうか。NWAの意向、または鶴田に対する“アドバイス”もあったのかもしれない。それだけに歴史的かつ貴重な一戦となった。

 テリーは翌年にNWA王座を失うも、後に親衛隊ができるなど本格的なブームが訪れ、テリー人気によって全日本が支えられた時期もあった。83年8月31日蔵前国技館で引退するが、その後に復活。90年代から00年代まではクレイジーなハードコア戦士に転向し、人気を集めた。あらゆるスタイルで頂点を極めた本物の名レスラーだった。改めて合掌。 (敬称略)