先週はミスター・プロレスこと天龍源一郎が初めてのシングルベルトとなるUNヘビー級王座を奪取した試合(1984年2月23日)を取り上げた。天龍は「猪木さんも坂口さんもジャンボも巻いた歴史あるベルトだから、本当に手に入れたかった」と後日語っている。

 故アントニオ猪木氏や現在、新日本プロレスの相談役を務める“世界の荒鷲”こと坂口征二も初のシングルベルトはUNヘビー級王座だった。72年2月11日(日本時間12日)、坂口は米ロサンゼルスでキング・クローを撃破してUN王者となった。しかし当時の日本プロレスは大混迷期にあり、前年12月に猪木が追放処分となり、72年3月6日には大田区体育館(当時)で新日本プロレス旗揚げ戦を行っている。

 坂口は前年12月に猪木の代役としてNWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアに挑戦するなどポスト猪木として孤軍奮闘を続け、ジャイアント馬場との「東京タワーズ」で72年5月にインターナショナルタッグ王座を獲得するなど大活躍を見せていたが、結局は馬場も7月には退団して全日本プロレス旗揚げへ向かった。そんな状況の中での初戴冠劇は暗いムードに包まれていた日プロにとって、救いとなった。本紙は1面で坂口の快挙を報じている。

クローのスリーパー・ホールドに苦悶する坂口征二
クローのスリーパー・ホールドに苦悶する坂口征二
キング・クローに初公開のアルゼンチン式背骨折りを決める坂口
キング・クローに初公開のアルゼンチン式背骨折りを決める坂口

『日本プロレスの“黄金の若鷲”坂口征二がついにシングルのタイトルを獲得した。坂口がキング・クローに挑んだNWA認定ユナイテッド・ナショナル選手権(60分3本勝負)は11日夜、当地のオリンピック・オーデトリアムで行われた。この一戦に5年間のプロレスキャリアのすべてを投入した“柔道チャンピオン”坂口はスタートから猛ハッスル。1本目はクローのペースにはまり、ダイビングプレスをくらって先制された。2本目は坂口がジャンピングスリーパーホールドでクローをキャッチ。必殺のアトミックドロップ6連発でクローをKOしてタイに。決勝ラウンド、坂口は空手水平打ちの乱打ラッシュから、初公開の豪快なアルゼンチンバックブリーカーでクローをギブアップさせてついに勝利。黄金の若鷲・坂口は柔道日本一からプロレス転向5年目で王座をつかんだ。日本にユナイテッド・ナショナル王座が帰ってくるのは、昨年12月に猪木が返上して以来、約2か月ぶりとなる。観戦記を書いたミスター・モトは「アントニオ・ロッカが創始したこの背骨折りはプロレスの中でも大殺法で今では使い手がいない。坂口はナンバーワンの使い手になるだろう。パワーとガッツによる坂口のタイトル奪取だった」と絶賛した』(抜粋)

レフェリーから手をあげられる坂口征二。左はセコンドの高千穂
レフェリーから手をあげられる坂口征二。左はセコンドの高千穂

 その後、72年9月にザ・シークに敗れるまで3度の防衛を重ね3冠王(UN、インタータッグ、アジアタッグ)として奮闘した坂口だったが、退団した馬場からは「お前は日プロを守れ」との言葉を受けて、2大巨頭を失った日プロのエースとして孤軍奮闘。73年2月には猪木との新・日本プロレス旗揚げ構想に大木金太郎が反発して白紙に戻るなど、大混迷を極めた。結局、73年3月にジョニー・バレンタインに王座を奪われると、3月8日栃木・佐野大会を最後に日プロを退団。4月1日から新日本に移籍して佐賀・鹿島大会から出場する。

 結局、日プロは4月20日群馬・吉井町大会で19年の歴史に幕を閉じる。坂口は後年に「あれから50年以上たつけど芳の里さんには恩義があったからね。(残留は)間違っていなかったと思う」と語っている。荒鷲らしく最後まで責任を全うした後、猪木との黄金コンビで“世界の荒鷲”へと飛翔を遂げる。 (敬称略)