新日本プロレス、4日の大阪城ホール大会で、海外武者修行から凱旋帰国した辻陽太がIWGP世界ヘビー級王者のSANADAに挑戦。敗れたものの大歓声を浴びた。2012年のオカダ・カズチカ以来となる凱旋帰国直後の王座奪取は逃したが“怪物”と呼ばれるにふさわしい特大のインパクトを残した。
力道山から始まった長い日本のプロレス史でも最初に華々しい“凱旋帰国”を果たしたのが1963年のジャイアント馬場だった。60年9月にデビューすると61年7月に渡米。フレッド・アトキンスに師事してメジャー地区で活躍。62年3月にはNWA世界ヘビー級王者バディ・ロジャースに挑戦し、以降、デビュー1年半ながらロジャースのライバル役(ヒール)として大抜てきを受けた。63年2月にはWWA世界ヘビー級王者ザ・デストロイヤーに反則勝ちを収めている(王座は移動せず)。
大活躍の後、63年3月17日に第5回ワールドリーグ戦の外国人招聘のため渡米していた力道山に伴われて帰国。力道山と会見に臨んだ。本紙は1面で馬場の帰国を報じている。
「歴戦502試合、敗戦7度。世界選手権に2度挑戦。プロレスの本場米国で1年8か月の修行生活を送った日本のホープ“ジャイアント”馬場は予想外の成果を挙げて帰国した。第5回ワールドリーグ戦のなかにもキラー・コワルスキー、ヘイスタック・カルホーン、ボブ・エリスなど馬場と戦ったレスラーは多い」。馬場は「米国では502試合やった。負けたのは7回だったと記憶している。ワールドリーグ戦に参加するレスラーではエリス、コワルスキー、カルホーン、マレラと戦って、マレラにはカナダ・トロントで勝った。現在330ポンド(約149・6キロ)でコンディションはいい。武者修行の成果はワールドリーグを見てほしい」と堂々語っている。
馬場はリーグ戦初参戦で、コワルスキー、カルホーン、アトキンスらの強豪外国人との対戦が組まれていた。3月22日リキパレスの前夜祭では全試合5分1本勝負が組まれ、実質的な帰国初戦で馬場は外国人トップのコワルスキーと対戦した(時間切れ)。また2日後の同24日蔵前国技館ではコワルスキーとの45分1本勝負が組まれた。シューズを脱がされるハプニングもあったが、馬場は45分間動き続ける驚異的なスタミナを見せて、ノーフォールの時間切れ引き分けに持ち込む大健闘。鬼の力道山も試合後「よくやった!」と称賛した。この試合は今でも凱旋帰国時の名勝負とされている。
この試合は「馬場は全米に悪名を轟かせる殺人狂コワルスキーの冷酷、残酷な反則攻撃に、一歩も引かず堂々と戦い抜いた。エキサイトしてパンチの返礼、コーナーに叩きつけるなど米国帰りのファイトを存分に見せつけた。馬場は驚くべきスタミナでパンチ、タックルの応酬の末、時間切れとなった」と報じられている。両者は4月11日長崎の公式戦で激突。コワルスキーが逆さ押さえ込みでフォールを奪った。
結局、馬場は公式戦で7人の外国人を相手に4勝2敗1分けの好成績を残し、フォールを許したのは殺人狂のみだった。5月17日東京体育館の優勝決定戦は、力道山がコワルスキーを撃破して5連覇を達成。コワルスキーを軸に考えると、当時の馬場の扱いが破格だったことが分かる。
馬場は同年10月に再渡米し、12月に力道山が死去すると緊急帰国。64年にまた渡米し、当時の3大タイトル、NWA(ルー・テーズ)、WWWF(現WWE=ブルーノ・サンマルチノ)、WWA(フレッド・ブラッシー)に連続挑戦する金字塔を打ち立て、同年4月に帰国すると、本格的な「馬場時代」が幕を開ける。 (敬称略)













