昭和を代表する“ケンカ屋外国人”である「生傷壊し屋コンビ」ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組と“原爆男”ウィルバー・スナイダー、“鳥人”ダニー・ホッジ組が、故ジャイアント馬場さんと、故アントニオ猪木さんの「BI砲」と激闘を展開した試合を前回、前々回で取り上げた。

 同様に昭和を象徴する希代のケンカ屋で、今でも「最強」との呼び声が高い名選手が“荒法師”ジン・キニスキーだ。当時全盛期にあったAWA世界ヘビー級(1961年7月)、NWA世界ヘビー級(66年1月)の両方を戴冠した初めての選手で、無類のスタミナと193センチの長身。まさに「肉体が武器」の豪快なファイトを身上とした。

 NWA王者として来日した1967年8月14日大阪球場では、キニスキーが馬場のインターナショナルヘビー級王座に挑戦。日本プロレスが総力を挙げて実現させた世界最高峰の一戦で、1対1から両雄が死力を尽くし60分時間切れ引き分け。5分の延長戦でも決着がつかず、65分の死闘は今でも「伝説の名勝負」と呼ばれ、後年、馬場も「生涯最高の試合」と述懐している。この試合は以前に取り上げているので、今回はキニスキーが初来日した64年「第6回ワールドリーグ戦」での馬場との初公式戦(4月17日、高松)について触れたい。

 前年に力道山が急死してから初のリーグ戦。目玉となったキニスキーはまだ見ぬ強豪の代表格で、本紙は連日1面で「荒法師」の情報を掲載していた。キニスキーは3連勝中、馬場は2勝1分けとともに無傷で激突した(8分3ラウンド)。初回、2回と馬場が攻め込んだ後、最終ラウンドを迎える。

公式戦でキニスキーにフルネルソンを決める馬場。迫力満点の肉弾勝負だった
公式戦でキニスキーにフルネルソンを決める馬場。迫力満点の肉弾勝負だった

「キニスキーがヘッドシザース、馬場がヘッドロックで返すスピーディーな展開が続く。この後は殴り合いが続き、両者汗ビッショリでパンチが入るたびリングサイドに汗が飛び散る。だがキニスキーはバックブリーカーを決めて場外に飛び降り反動をきかせる老かいぶり。馬場が空手チョップ5連打を決めると、キニスキーはグロッギーのふりをして場外に誘い込んで乱闘に巻き込む。だが馬場はリングに戻るとボディースラム2連発、ヤシの実割り3連発からニードロップ一撃。しかしカウント1が入った時、馬場にとっては不運な終了のゴング。押しまくりながら長蛇を逸した馬場。判定があるなら間違いなく馬場のものであった」(抜粋)

 24分の激闘後、キニスキーは超大物らしく「いい試合だったろう。馬場もなかなかやるな。今度やったら勝負をつけてやる」と平然として語ったが、格上の荒法師に初失点を与えた馬場の大健闘が光った一戦だった。実は公式戦の前、4月7日豊橋では初対決が実現している。45分3本勝負でお互いに1本も取れずに時間切れ引き分け。本紙は「両雄合わせ270キロの肉弾戦はリングの上下を往復しての殴り合い。ダイナミックな攻防でプロレスの醍醐味を堪能させた」と高評価を与えている。

 結局、キニスキーは公式戦で豊登に敗れた1敗と馬場と引き分けたのみの8勝1敗1分けの2位で優勝決勝戦(5月12日、東京体育館)へ進出。7戦全勝で首位の豊登と激突するも、3回2分45秒、リングアウト負けで初優勝をさらわれた。馬場は5勝1敗1分けの3位に終わった。

 しかしいずれもドローに終わった「初対決」から、両雄は強さに磨きをかけて馬場は65年11月に復活したインターナショナル王座を獲得。キニスキーはNWA王者となり、67年8月の「伝説の名勝負」を迎える。初遭遇となった64年のリーグ戦は、後の2人の名勝負への導火線だったのかもしれない。 (敬称略)