4月1日が「東スポの日」と制定されてから1周年を記念し、故ジャイアント馬場さんと故アントニオ猪木さんの「夢のBI砲」シリアルナンバー入り豪華写真が発売されて好評を呼んでいる。
BI砲は看板だったインターナショナルタッグ王座を通算4回戴冠、通算29回の防衛を果たして“史上最強コンビ”と呼ばれたが、最大の難敵はどのチームだったのか。BI砲が敗戦を喫したのはウイルバー・スナイダー、ダニー・ホッジ組(1969年1月広島)、ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組(69年8月札幌)、ザ・ファンクス(71年12月札幌)の強豪3チームのみだが、ここは“生傷男”ブルーザーと“破壊屋”リソワスキーの無法コンビを挙げたい。まさに当時の「最強外国人コンビ」だった。
いずれも米国NWA、AWA、WWF(現WWE)で活躍。殴る蹴るのシンプルなケンカスタイルながら、見るからに用心棒か米国人肉体労働者のような頑丈な肉体と無法ファイトで多くの王座を獲得。ブルーザーはアトミックボムズアウェー(原爆落とし=最上段からのダイビングフットスタンプ)、リソワスキーはメガトン・パンチ、メリケンサック攻撃を得意として馬場ともインターナショナル王座戦で激闘を展開。特に1965年11月24日大阪で、復活したインター王座決定戦で馬場がブルーザーを撃破して力道山以来の王者となった一戦は屈指の名勝負とされる。
その無法コンビが69年8月11日札幌でBI砲に初挑戦。来日時には電話帳を引き裂くパフォーマンスも披露し、いきなり王座を強奪して日本のファンを震撼させた。猪木がリソワスキーのメリケンサック攻撃でKOされ、馬場は無法コンビが交互に放ったアトミック弾3連打で3カウントを奪われ、1ー2で惨敗する(2本目は猪木が卍固めでリソワスキーに勝利)。大荒れの王座交代劇を本紙は「台風一過」と表現し、1面には「生傷ぶっこわし屋馬場惨殺王座奪う」の衝撃的見出しが躍った。
しかし2日後の13日大阪ではリマッチが実現。BI砲は背水の陣を敷いて無法コンビに挑んだ。本紙は1面で詳細を報じている。
「馬場、猪木が血の復讐戦――。インタータッグ戦は大阪府立体育会館で大激戦となり、1本目は馬場が地獄突き、ワンツーパンチのラッシュで荒れ狂い、4人場外で入り乱れての大乱闘。机にぶつけ合い、脳天チョップ、メリケンパンチが乱れ飛び4分10秒、両軍リングアウト。決勝の2本目は両軍血みどろの凄惨な死闘に。クラッシャーのメリケン殺人パンチで額を割られた猪木は血だるま。怒り狂った馬場がメリケンを奪い無敵コンビをめった打ちの報復。32文ドロップキック、16文キックのカウンターで追い込み猪木がクラッシャーに電撃の“血の卍固め”。馬場はブルーザーを脳天チョップ11連発で蹴散らし4分15秒、猪木がギブアップを奪った。“生傷組”は三日天下も保てなかった。馬場はこの日がデビュー以来1500試合目であり、連続出場の偉大な記録を見事な勝利を飾った」(抜粋)
本紙は「初戦の敗退の教訓を生かしメリケンサックを奪った馬場の好判断、場内の気温40度も味方した」と分析している。しかし無法コンビが圧巻の強さを印象づけた王座戦2連戦だった。ブルーザー組はその後も来日したが、BI砲はこれが最後の対戦となった。BI砲はこの一戦から71年12月の解散まで無敵の14度防衛に成功している。
(敬称略)















