メジャー団体王座の連続防衛記録が難しい時代となった。原因としては複数のエース級選手の台頭、ベルトの増加などが考えられる。「1団体1エース」が絶対条件であり、ほぼ毎シリーズに防衛戦が行われていた昭和の時代には、とんでもない数の防衛記録が残されている。
全日本プロレスのジャイアント馬場のPWFヘビー級王座38回連続防衛は、今でも不滅の日本最高記録として残る。新日本プロレスではアントニオ猪木のNWFヘビー級王座27回防衛、国際プロレスではストロング小林のIWA世界ヘビー級王座25回防衛など、天文学的数字がズラリと並ぶ。
今から45年前の1978年6月1日秋田では馬場がキラー・トーア・カマタにまさかの反則負けを喫し、39度目の防衛に失敗。初代王者となった73年3月から実に5年3か月間も保持した王座から転落している。本紙はこの一戦の詳細を報じている。
『G・馬場、ついにPWFヘビー級王座の防衛記録が“38”でストップ――。王者・馬場が“日系流血王”K・T・カマタの挑戦を受けた王座戦が1日、秋田市体育館で行われ、馬場が反則負けで王座転落という大ハプニングが起きた。カマタはリングに上るハシゴを持ち出して大暴れ。馬場もケンカファイトで応戦してカマタを流血させた。メチャクチャな場外乱闘の末、あまりに凶暴なカマタのファイトに馬場の堪忍袋が裂けると、カマタを鉄柱にぶつけ、顔面へパンチとチョップの雨。額からの流血に加え、カマタは鼻からも大流血だ。マイクのコードを取った馬場は首をグイグイ絞め上げる。レフェリーが入っても血に染まったカマタの顔面にチョップを放ち、コードで首を絞める。あっという間に5カウント。ジョー樋口レフェリーは馬場の攻撃が悪どいとして反則負けを宣告した。馬場は暴走の反則負けとなり「PWFルールでは反則でもタイトルが移動することは知っていた。残念というより腹が立つ。負けた気が全然しない」と語った』(抜粋)
あの冷静沈着な馬場が反則負けを喫した例はほとんどない。よほどカマタの暴走流血ファイトに激怒したのだろう。結局、11日後の6月12日一宮でビル・ロビンソンがカマタから王座を奪取。10月18日栃木でアブドーラ・ザ・ブッチャーの手に渡るも、翌79年2月10日米イリノイ州シカゴで馬場が王座奪還に成功。今度は15回連続防衛をマークして、4度の戴冠で通算防衛記録は59回という驚異的な記録を樹立した。
現在は各団体ともエース級選手の実力が拮抗しており、馬場の記録を更新することはまず不可能だろう。同時に1人のエースが、言葉は悪いが「消化試合」を含んで長期防衛を記録するよりも「群雄割拠」の状態が令和の時代にふさわしく、ファンのニーズも同様に違いない。プロレスリングマスターこと武藤敬司の引退により「昭和のプロレスは終わった」と言われるが、まさに馬場不滅のV38は「昭和」という時代の財産であった。
(敬称略)












