“プロレスリング・マスター”こと武藤敬司は、いよいよ2月21日に東京ドームで引退試合を行う。対戦相手は新日本プロレスでロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)を率いる内藤哲也。「夢の対決」と呼ばれたグレート・ムタとWWE・中邑真輔の初対戦(1月1日、日本武道館)に続き、内藤がプロレスラーを目指すキッカケとなった武藤との激突は、まさに「運命の一戦」となる。

 大の新日本プロレスファンだった内藤にとって、武藤は最初に憧れた存在であり、レスラーを本気で目指す契機となった。両者のシングルマッチは2012年1月4日東京ドーム大会以来実に11年ぶり。当時、武藤は全日本プロレスに所属し、約2年3か月ぶりに新日本に参戦して内藤との初シングル戦に臨んだ。

 内藤はまだLIJ結成前で、デビュー5年半。高校時代はサッカー部で特に格闘技経験もないまま、アニマル浜口ジムでトレーニングを積んでプロ入りした内藤にとっては、まさに夢に見た憧れの人間との対戦だった。

 当時の内藤は「スターダスト・ジーニアス」と呼ばれ、その卓越したプロレスセンスから「天才」の異名を誇っていた。メキシコ遠征を経て11年8月のG1クライマックスでは優勝決定戦まで進むも、中邑真輔に敗れて惜しくも準優勝に終わった。しかし中邑、棚橋弘至らとの対戦を経て、実力はもはやトップに迫る勢いを見せていた。本紙はこの一戦の詳細を報じている。

フィニッシュは武藤約4か月ぶりの月面水爆だった
フィニッシュは武藤約4か月ぶりの月面水爆だった

『全日本プロレスのエース・武藤敬司が2年3か月ぶりに新日マットに上陸。内藤哲也との「新旧天才対決」を制して貫禄を見せつけた。武藤がデビューしたのは1984年10月。内藤がまだ2歳の時だ。その後、闘魂三銃士の一人として日本を代表するトップレスラーとなった。内藤も小学校時代に憧れた武藤の存在が、プロレスラーを目指すキッカケとなった。大歓声で迎えられた武藤は、得意のグラウンドの攻防こそ主導権を奪われたが、一瞬のひらめきで流れを変える。鉄柵で内藤の動きを封じてドラゴンスクリューで右ヒザをねじり上げたのだ。ここからは武藤の独壇場。内藤の顔面をロープ越しでシャイニング弾で捕らえ、攻撃ポイントを一点に絞り込み、足4の字固めで追い打ちをかける。さらには顔面、後頭部へ合計6発のシャイニング弾を見舞い、最後は昨年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」で年間最高試合賞を獲得した「ALL TOGETHER」(8・27日本武道館)以来となる月面水爆で圧殺した。武藤は「内藤は伸びシロがいっぱいあるわけでいっぱい精進してほしい。何をもって天才なのかは分からないけど力強かった。握手は拒否されたけど、まあいいんじゃねえのか」と新鋭の突き上げを歓迎した』(抜粋)

 その後の内藤の大飛躍ぶりは改めて振り返るまでもないだろう。ケガに悩む時期もあったが、15年にはメキシコ遠征でLIに加入。6月に凱旋帰国するとファイトスタイルをふてぶてしいものに一新した。11月にはEVIL、BUSHIらとロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを正式にユニット化。押しも押されもせぬ超人気ユニットとして一気にマット界の頂点に君臨する。

 その後はIWGPヘビー級、IWGPインターコンチネンタル王座、G1クライマックス制覇など主要王座のほとんどを獲得。人気面のみならず試合も常に超ハイレベルの内容を見せつけ、3度のプロレス大賞MVP(16、17、20年)に輝き、名実ともにマット界のカリスマとなった。また本紙・岡本記者とのファミレス取材は名物企画にもなった。

「引退する人間ですから理想は完封ですかね。限界を感じて引退してもらうのがベストなんじゃないですか。俺がやるべきことは、武藤選手に『ああ、もう無理なんだ』と思わせることですよ」と内藤は現在の心境を語っている。勝敗などどうでもいい。武藤と内藤。一時代を築き上げたレスラー同士にしかできない、お互いの人生が交錯したドラマに期待したい。 (敬称略)