1日のノア日本武道館大会では石川県知事の馳浩が「X」として電撃登場。8人タッグ戦で約2年ぶりにノアマットに出陣して大歓声を浴びた。大原はじめを捕獲すると、代名詞のジャイアントスイング20回転で会場を沸かせ、最後は大原をノーザンライトスープレックスで沈めて勝利を収めた。とても61歳の現役県知事とは思えないコンディションで、今後の登板も期待させる結果となった。

 8日には木明勝義カメラマンによる東スポWebの人気連載「プロレス蔵出し写真館」で、プエルトリコ遠征中の馳の海外デビュー戦についてのマル秘エピソードが公開されている。1985年に長州力率いるジャパンプロレスに入門した馳は、87年暮れまでプエルトリコ、カナダ・カルガリーに遠征。12月1日に帰国して、同年12月27日両国国技館大会で凱旋帰国試合に臨んだ。

 日本デビュー戦ではいきなり当時IWGPジュニアヘビー級王者だった小林邦昭に挑戦。王座奪取の快挙を演じている。ちなみに同大会はビッグバン・ベイダーを引き連れた「たけし軍団」が乱入。連戦を強いられた猪木はカードが二転三転の末、3試合目でベイダーに瞬殺され、大暴動が起きた悪名高い大会だった。そんな中、馳の王座奪取は一筋の光明となった。本紙は凱旋帰国の詳細を報じている。

鮮やかな北斗原爆固めを小林に決める馳
鮮やかな北斗原爆固めを小林に決める馳

「“北斗の新星”馳が帰国第1戦でIWGPジュニア王者の小林にフォール勝ち。王座奪取の快挙を成し遂げた。馳の体がググッと沈む。両腕を外側からガッチリとロックして体を力強く反り始める。王者の体がきれいに弧を描いた。マットに叩きつけるとそのまま鮮やかなブリッジから3カウント。北斗原爆固めで馳がでっかい夢をかなえた。馳は脊髄分離症という爆弾を抱えた王者を攻め込み、師匠・長州譲りのサソリ固め、ラリアートで攻め込む。原爆固めから毒グモスープレックス、振り子式背骨折りからトドメは本邦初公開の“北斗原爆”ノーザンライトスープレックス。馳はリング中央で雄叫びを上げた」(抜粋)

 馳は試合後「グリップが少し甘かったが、カナダで10回以上使っているから不安はなかった。日本もカナダも同じ。小林さんを一発食ってやろうと思っていた。70点のデキかな」と堂々語っている。その後はヘビー級に転向し、数多くのトップレスラーと名勝負を展開した。95年には参議院議員となり、96年に全日本プロレスに移籍。2000年には衆議院議員となり、文部科学大臣も務めて7選を果たし、現在に至る。

 馳はどんな時も記者の質問に理路整然とにこやかに答えてくれたが、同時に礼儀がなっていない時は何度も怒られた。忘れられないのは、後にWWEでNXTのGMとなったウィリアム・リーガル(当時はスティーブン・リーガル)が94年に初来日した時だ。6月30日長野での来日初戦タッグマッチで、リーガルは見たこともない関節技で木戸修をギブアップさせたのだが、本部席の田中ケロリングアナウンサーに聞いても技の名前が分からない。そのやりとりを聞いていた馳に「お前、若いんだから走って自分で聞いてこい!」と怒鳴られたのだ。

 慌てて追いかけて技の名前を本人に聞くと「ロイヤル・ストレッチ」と英国紳士らしくVサインを出しながら答えてくれた。汗だくで本部席に戻り田中アナと馳に報告すると、馳は「な、自分で聞きに行ったほうが早いだろ? 若いんだから足を使わないとな!」と肩を叩いて笑顔で応じてくれた。元教師らしい馳の“教育的指導”だった。この経験は25年以上たった現在でも忘れられない。

 1日の復帰戦では試合後に質問が途切れると「はい、終了。どいつもこいつもしょっぱい記者ばっかりだ」と一喝して席を立った。これも「試合後のインタビューで間を置くな」という、馳なりの記者に対する“教育”だったのではないか。馳の取材で様々なことを学んだ記者は多いはずだ。こんなレスラーはもう出てこないだろう。

 盟友の“プロレスリング・マスター”こと武藤敬司は、いよいよ2月21日に東京ドームで引退試合を行う。馳には体が続く限り“生涯現役”を貫いてほしいと心から願う。 (敬称略)