ノア2月21日東京ドームで引退試合を行うプロレスリングマスターこと武藤敬司の化身であるグレート・ムタは、1日の日本武道館大会でWWEのスーパースター、中邑真輔と究極のドリームマッチを行い、敗れはしたが存分に「ムタ・ワールド」を見せつけた。

 そしていよいよノア22日の横浜アリーナ大会でファイナルマッチを迎える。試合は6人タッグ戦でパートナーは1980年代から90年代にかけて、米WCWと新日本プロレスで抗争を展開したスティング。ここに現在AEWでスティングのパートナーとして活躍するダービー・アリンが加わり、トリオを結成する。

 ムタとスティングの抗争は当時から大人気を呼び、WWEとのテレビ視聴率戦争「マンデー・ナイト・ウォーズ」ではWCWを有利に導いている。後にはタッグチームを組むこともあった文字通りの“戦友”だ。

 スティングは90年代になると新日本のビッグマッチに定期的に参戦するようになる。91年3月21日東京ドーム大会では日本で初めてムタとのシングルマッチが実現。まさにアメリカンプロレスのお手本のような試合の末、ムタが勝利している。

『緑の毒霧が散った。スティングの顔面が一瞬にして染まる。棒立ちのスティングにムタは狙いすましたフライングボディーアタック。ムタの秘策がズバリ当たって3カウントが入った。ゴング前から試合はムタのものだった。“影武者”が外野席前の円形リングで演舞。異様なムードの中、ムタが登場。米国国旗をデザインしたド派手なコスチュームで登場したスティングもかすんでしまった。ムタはキック、パンチ、地獄突きとスティングのノド元に集中砲火。ムーンサルトこそ失敗したが、顔面をかきむしってペースを握る。だが米国マットで抗争を展開した2人だ。スティングも引き下がれない。ムタを頭上高く抱え上げるとリング下に放り捨て、超高角度の人間ロケットがさく裂する。両者の意地が真っ向から火花を散らす。ラリアートは相打ち、ドロップキックも正面衝突。リング中央で2人は大の字となる。緊迫したムードをムタの毒霧が切り裂いて決着。「勝ってうれしい。次はNWA王座だ」とムタ。もともとスティングが王座から転落していなければ、ムタが挑戦するはずだった。「あのベルトは俺のものだ」と藤波が手にしたベルトを横目で見た。ムタはNWA戦で再び出現してくる』(抜粋)

 この日のメインではIWGPヘビー級王者の藤波辰爾とNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーがダブルタイトル戦を行い、藤波がグラウンドコブラで勝利した。こちらも名勝負だったが、ムタとスティングのNWA戦も見たかったような気がする。

 スティングはここから新日本に定期参戦を果たし、様々な相手と戦い懐の深さを見せつけた。同年9月には素顔の武藤とタッグを結成。翌年92年1月4日東京ドームではムタとコンビを結成してスタイナー兄弟と対戦。スティングが一瞬のスキをついた回転エビ固めで勝利した。この試合を本紙は「華やかでダイナミックでスリリング。米国流ストロングスタイルの競演はエキサイティングそのものだった」と評している。

 その後も馳浩、佐々木健介らとも対戦。意外だが95年1月アントニオ猪木引退記念ファイナルカウントダウン格闘技トーナメントにも出場。決勝戦で猪木にスリーパーホールドで敗れている。

 スティングは長く反WWEを貫いてWCW一筋だったが、01年に崩壊後は様々な団体を渡り歩いた後、14年4月にWWEに入団。ジョン・シナのバックアップに回り、15年9月にはセス・ロリンズのWWE世界ヘビー級王座にも挑戦。16年にWWE殿堂入りを果たすと、4月に引退を表明。20年12月にAEWで復帰して現在に至る。

 夢にも思わなかったムタとスティングの再会劇。ムタが魔界へと戻るファイナルマッチは、絶対に見逃せない一戦となる。(敬称略)