日米を股にかけて活躍したノアの〝プロレスリング・マスター〟こと武藤敬司(60)が、波乱万丈の半生を振り返る新連載「ゴールなきマラソン ~武藤敬司の軌跡~」がスタート。第1回は、2月21日に東京ドームで行われる自身の引退試合への思いを激白だ。ラストマッチを前に、天才が置かれている厳しい現状、さらには最後の試合に込める師匠、戦友、そして後輩たちへの決意と覚悟とは――。

【ゴールなきマラソン ~武藤敬司の軌跡~(1)】

 ――引退試合まで約1か月だ

 武藤 早くその日が来てほしいよ。引退までは現役なわけでさ。現役である以上、引退試合で今までにない最高の作品をつくってやろうっていう意気込みがあるわけだ。そのためにはトレーニングもしなきゃいけねえじゃん? でも、体の状態が万全じゃないから引退を決めたわけで…。

 ――コンディションづくりに苦労していると

 武藤 うん。無理をすると(引退の)原因をつくったところが炎症を起こしたりもするからさ。そのジレンマにあるというか。思い通りにできなくなっているっていうのはある。「大丈夫かな」って、弱気になったりもするわけだから。

 ――引退の原因となった股関節の痛みと向き合いながらの調整だ

 武藤 そう。そのストレスが大変だよ。だからって練習しなかったら、自分の思っている作品はつくれないから。

 ――最後まで武藤敬司にふさわしい試合を見せるつもりか

 武藤 もちろん。いまだかつてない素晴らしい作品をつくってやろうって思っているよ。これまでの名勝負を超える? レスラーとして追求するよ。現役なんだから。

 ――「引退試合」にはどんなイメージを

 武藤 俺さあ、意外と先輩方の引退試合って記憶にねえんだよ。長州(力)さんも具体的にどんなことをやったか全く覚えてねえ。

 ――1998年1月4日に東京ドームで最初の引退試合を行った

 武藤 5人掛けをやったんだってな。全然覚えてないよ。(アントニオ)猪木さんの引退試合(98年4月4日、東京ドーム)も覚えてない。ドン・フライとやったらしいね。引退試合って記憶に残らないものなんだよ。

 ――なぜだと思うか

 武藤 多分「引退する」っていう事実を超えるインパクトを残さないといけないからじゃないかと思うんだよ。そこに気をつけて取り組まないと、記憶に残っていかない気がしているよ。

 ――だが、天龍源一郎の引退試合(2015年11月15日、両国)が「プロレス大賞」ベストバウトに選出された例もある

 武藤 正直な話、あのベストバウトって、天龍さんはボロボロだったわけじゃん。でも「天龍源一郎」というレスラーは、そういうあり方も武器にして魅せることができる。でも、そういうのは俺にはできない。

 ――では、どんな引退試合にしたいか

 武藤 いい意味で記憶に残るというか。後輩のレスラーたちが「いずれ俺もこうして引退試合がしたいな」って思えるようなさ。みんなが「こういう卒業がしたいな」って思えるような試合をしたいよ。だって、引退試合ってできてない人が多いじゃん。

 ――限られた人間のみ許されるからこそ夢を与えたいと

 武藤 うん。それに(志半ばで死去した)橋本(真也さん)も三沢(光晴さん)もしてないだろ。これできっと、昭和のプロレスも終わりだし。だから三沢、橋本とか(時代)背景も背負いながら。俺としてはそういう気持ちで臨むよ。

 ――昨年10月1日に死去した猪木さんにコメントをもらう計画もあった

 武藤 ビジョンで出てもらおうかと思っていたんだけど。猪木さんって誕生日が2月20日で、今年で80歳だったんだ。それでこの間、猪木さんに近い人から聞いたんだけど「80になって一発目の仕事は武藤の仕事か」って言ってくれていたらしいんだよなあ…。(インタビュー・前田 聡)

 ☆むとう・けいじ 1962年12月23日、山梨・富士吉田市出身。84年に新日本プロレス入門。同年10月5日の越谷大会で蝶野正洋相手にデビューし、海外でもグレート・ムタとして活躍。2002年に全日本プロレスに移籍し社長就任。13年にW―1を旗揚げした。21年2月にノア入団。獲得タイトルはNWA世界ヘビー、IWGPヘビー、3冠ヘビーなど多数。「プロレス大賞」MVPを4度獲得した。188センチ、110キロ。

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