【プロレス蔵出し写真館】5月24日はラッシャー木村の命日だ。木村は2010年(平成22年)に、6月30日の69歳の誕生日を前に死去した。
国際プロレスでは日本初の金網デスマッチに出陣して〝金網の鬼〟として名をはせた。国際が崩壊後はアニマル浜口、寺西勇と「はぐれ国際軍団」として新日本プロレスに参戦してアントニオ猪木との抗争で、ヒール人気が爆発した。
ユニバーサルプロレス(旧UWF)を経て全日本プロレスへ移籍し、ジャイアント馬場とタッグを結成するも、途中で裏切り、国際の残党と「国際血盟軍」を結成。
いつからか、試合後のマイクアピールが人気を呼び、馬場を「アニキ」と呼んで全日本陣営に加わると、マイクパフォーマンスは欠かせないものとなり、馬場とのタッグに百田光雄を加えたファミリー軍団と渕正信、永源遙、大熊元司の悪役商会の対戦は休憩前の欠かせない定番カードとなったのだ。
地方巡業では、ご当地ネタを織り交ぜ観客を楽しませたが、中でも〝渕の独身ネタ〟は大ウケだった。
「渕、お前の嫁さんをこの会場の中から探してやる。お姉ちゃん、渕の嫁さんになってくれないか」。そう木村が声をかけたのは80過ぎのお年寄り。渕はおばあちゃんと手を取り合った。
1996年(平成8年)1月12日の後楽園大会では渕の意外な事実にも触れた。
「渕、村山さんに贈り物しときなさいよ。そうすれば必ず見返り(縁談)が来るからな」。村山さんとは元首相の村山富市氏。前日11日に内閣総辞職を行って退陣した村山首相は渕の親戚だった。
渕は「母の叔父。総理になった後、偶然代々木公園で見た。あいさつに行こうかとも思ったけどSPが多くて行けなかった。だから総理になる前も含めて会って話したことは、実を言うとないんだよ。村山さんは、親戚の息子がプロレスラーになってるのは知ってたようだけど」と明かす。
木村のマイクパフォーマンスに最多登場した渕が、木村の印象深いマイクを振り返った。
「やっぱり馬場さんが日本武道館でカムバックした試合だよね」と即答する。
今から35年前の91年(平成3年)6月1日、長期欠場していた馬場が183日ぶりにリングに帰ってきた。
馬場は前年11月30日の北海道・帯広大会でアンドレ・ザ・ジャイアントと組んだ世界最強タッグ決定リーグ公式戦でドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクスと対戦。ドリーともつれ合って場外に転落した際に左大腿部を亀裂骨折した。
馬場は復帰戦で木村、渕とトリオを結成してアブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ1&2と対決。欠場のブランクを感じさせず、キマラ2をDDTで葬って勝利を飾ったのだった。
渕は「いつもは対戦相手が多かったけど、その日はオレが(馬場さんの)パートナーだった。武道館で馬場さんのカムバックだし、木村さんと話をした。『今日のマイク何か考えてますか?』。そう聞いたら、木村さんは『なんて言っていいかわかんない』って言うから、冗談で『加山雄三のセリフを言ったらどうですか』って提案した」(※大ヒットした「君といつまでも」の間奏で言う加山のセリフ)。
「木村さんは〝幸せだなぁ〟の後がわからないって言うから、オレが教えた。マイティ井上さんとか百田さんもいたかな。永源さんが『そんなこと、木村さんに言わすな』って怒るわけさ(笑い)。『そりゃそうですよね』ってリングへ向かった。そしたら木村さんが唐突に『なんだっけ?』って言うわけだよ。なにかと思ったら加山雄三のセリフを聞いてきた。思わず『えっ!? まさか、それ言うんですか』って言ったよ」
「試合が終わって、すぐ言い始めたから心配になったよね。たしかに2回3回、教えたけれど、とちったりしないかな。大丈夫かなって、ものすごく緊張したのを覚えてるよ。そしたら『幸せだなぁ。オレはアニキといるときが一番幸せなんだ。死ぬまでアニキを離さないぞ、いいだろ?』って。もう、よどみなくね(笑い)。最後、抱き合うのは木村さんのアドリブだよね(写真)。木村さん、あのセリフすべて暗記してすごかったな」
「終わった後に『木村さん、いやー、ちょっとホッとしました』って言ったら木村さんは『オレもホッとしたよ』って。井上さんも『いやーホントに木村さん言ったな』って感心してた」
「自分の中では木村さんはベテランで大先輩っていう思いがまだあるんだよね。馬場さんも同じ。オレは年齢で超えてしまった。そういう意味では感慨深い思いがあるよ」。渕はそう木村を偲んだ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













