【プロレス蔵出し写真館】「おい永源(遙)。ジャイアンツの選手が来てるぞ」。ラッシャー木村が恒例のマイクパフォーマンスで、そう言うと場内は大騒ぎになった。
今から30年前の1992年(平成4年)10月21日、日本武道館で開催された「全日本プロレス20周年特別興行」を、プロ野球巨人軍の原辰徳(現監督)、岡崎郁、広田浩章が観戦していた。
この日のメインは三沢光晴に川田利明が挑戦する3冠ヘビー級選手権。木村はマイティ井上&泉田竜舞(後に純)と組み、「悪役商会」の永源&大熊元司&渕正信組と対戦した。「ファミリー軍団」としてタッグを組むジャイアント馬場がセミの20周年記念特別試合(馬場&スタン・ハンセン&ドリー・ファンク・ジュニア組VSジャンボ鶴田&アンドレ・ザ・ジャイアント&テリー・ゴディ組)への出場が決まっていたからだ。
原辰徳は「プロレスは好きなんだけど生で見るのは初めて。三沢VS川田戦を楽しみにしてきたよ」と取材陣に話していて、木村が「来年は絶対優勝してくれよ」と激励すると笑顔で応えていた(写真)。
この年の巨人は、4番の原が絶不調で開幕から低迷。5月に西武から獲得した大久保博元(来年から打撃チーフコーチ)が正捕手に定着すると、ようやく快進撃を見せはじめる。大久保が本塁打を打てばチームが勝つという不敗神話が生まれ、原も打撃が復調。今でも語り草の、本塁打を打った原が頭上高くバットを放り投げた〝怒りのバット投げ〟は強烈なシーンだった(※後年、怒りではなかったと明かされたが)。巨人は前半を首位で折り返すと、新守護神・石毛博史などの活躍もあり、最後まで優勝争いをしていたが、結局阪神と同率2位でシーズンを終えていた。
永源のツバ吐きパフォーマンスで広田にツバが当たるハプニングもあったり、原は「今日は楽しかった」と満足げな表情で引き揚げた。監督となってからもプロレスファンを公言していて、アントニオ猪木、三沢や小橋建太、武藤敬司、真壁刀義、タイガーマスク(4代目)らとも対面している。
この年12月27日に大熊が急性腎不全で亡くなると、「悪役商会」に泉田が新加入。
木村は、泉田の前方回転受け身の挑発にでんぐり返しで応戦。試合に勝利し、鶴田ばりにコーナー中段に上がり手を突き上げ観客の声援に呼応。着地に失敗して後方にひっくり返るなど、腰痛にもかかわらずお客を笑わすムーブをいとわなかった。
そして、笑いをとっていたマイクの出色の出来栄えだったのは、「馬場、オレはおまえを倒すために元旦の朝、必勝祈願に行ったんだ。お前の16文Tシャツを着てな。そしたら隣の人に『馬場さんのファンなんですか?』と聞かれたよ」。取材していて思わず噴きだした。
ところで、長期欠場中の木村が久々に姿を見せたのは09年6月19日、中野区の宝仙寺。三沢の告別式に車イスで参列した。
その翌年に亡くなったが、最後に生前の姿が見れてよかった。記憶の中に、かつて〝金網の鬼〟と呼ばれた姿、そして猪木と敵対していた〝はぐれ国際軍団〟の木村がいる(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














