〝介錯人〟に指名されて――。2月21日のノア・東京ドーム大会で現役を引退するプロレスリングマスター、武藤敬司(60)の最後の相手に決まったのが新日本プロレス・内藤哲也(40)だ。米WWE・中邑真輔とグレート・ムタの試合が「奇跡の一戦」ならば、内藤がプロレスラーになるきっかけとなった武藤との戦いは、まさに「運命の一戦」。2020年7月以来、2年半ぶりに復活した恒例ファミレス取材で、制御不能男が決戦への心境を語った。

 運命の扉が開いたのは21日の横浜大会だった。ノアとの対抗戦で拳王に勝利した直後、武藤から引退試合の相手に指名された。内藤も受諾し、2012年1月4日の東京ドーム大会以来、11年ぶりにして最後のシングルマッチが決定した。

 これと前後して、新日本からはコロナ禍で禁じられていた飲食を伴う取材がついに解禁に。満を持して、内藤からは〝聖地〟ファミレスへの緊急招集がかかった。

 感慨深げにミラノ風ドリアを口に運びつつ、拳王戦を「体が小さいながらもノアのヘビー級戦線で戦っているだけあって、当たりも気持ちも強い選手なんだなとリング上で感じましたよ」と振り返る。一方で、敗れた拳王がユーチューブでしか発言しなかったことについては「残念でしたね。新日本しか見ないお客さまにも伝えるために、絶対にバックステージコメントは必要だと思うんです。せっかく『プロレス界の序列をひっくり返しにきた』わけですから」と苦言を呈した。

 ともあれ金剛とのシングル5番勝負でロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)を勝利に導き、対抗戦の主役となったことで、武藤の引退試合の相手という大役がめぐってきた。父親の影響で幼少時からプロレスを見始めた内藤にとって、武藤は初めて憧れたレスラーだ。中学校の卒業文集の「好きな有名人」の欄には同級生が芸能人や歌手を並べる中、敢然と「武藤敬司」と記入した。

 ファン時代に地方会場まで訪れるようになったきっかけもつくってくれた。武藤がIWGPヘビー級王者として迎えた、1999年1月シリーズのこと。「パンフレットで『俺の王者姿はこれで最後かもしれない』と言ってて、それを真に受けた俺は『じゃあ追いかけなきゃ!』と。完全にダマされたんです。ただ、そのおかげでより熱中して、プロレスラーを目指すようになったんですけどね」と苦笑する。

対戦が決まり、互いに得意のポーズを決め合う内藤(左)と武藤
対戦が決まり、互いに得意のポーズを決め合う内藤(左)と武藤

 そんな〝ヒーロー〟の最後の対戦相手を務めることに、特別な思いを抱いている。「俺は武藤敬司になりたかった人間ですよ。それから紆余曲折を経て、今のLIJの内藤哲也があるわけで。追いかけてよかったと思うし、好きになってよかった。だから本人の口から俺の名前を言わせたのは、すごく意味のあること。あのころの内藤少年に伝えても、まったく信じないでしょうね。まさにこれはデスティーノ(運命)ですよ」

 武藤は内藤を指名した理由の一つとして「ムタと(中邑)真輔に負けない試合(1日のノア日本武道館大会)ができるんじゃないか」と語った。しかし、内藤はまったく別のベクトルの試合を思い描いている。

「引退する人間ですから、理想は完封ですかね。限界を感じて引退してもらうのがベストなんじゃないですか。『プロレスLOVE』って言ってる人ですからね。ここでいい試合をして、またLOVEが増えちゃったら『引退するのやめるわ』って言いかねないですから。俺がやるべきことは、武藤選手に『ああ、もう無理なんだ』って思わせることですよ」

 憧れ、追いかけ続けた武藤のようになることはできなかった。それでも、希代の天才レスラーのキャリアを悔いなく終わらせる存在になれた自負がある。

 言いたいことを言い終えた内藤は「しばらく拳王選手に会う機会がないから、俺の代わりに(LIJが来場した15日のノア)ふじ大会のチケット代、2万5000円を渡してもらえないかな。近くでお金を下ろしてくるからちょっと待ってて」と言い残し店外へ。しかしそのまま戻ってくることはなく、テーブルの上には伝票だけが残された。