7日には両国国技館で昨年10月1日に死去した“燃える闘魂”こと故アントニオ猪木さん(享年79)の「お別れの会」が開催される。
前回は故ジャイアント馬場さんとのコンビで一世を風靡したBI砲最後のインターナショナルタッグ防衛成功(V14=1971年7月1日)を報じたが、今回はBI砲全盛期の69年に実現した「超黄金カード」について触れたい。同年11月28日蔵前国技館で行われたNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニア、同ジュニアヘビー級王者ダニー・ホッジの「現役NWA王者コンビ」を挑戦者に迎えたインタータッグ防衛戦だ。
この一戦は「NWAシリーズ」(11月14日~12月14日)内に開催された「NWA世界戦シリーズ」(11月28日~12月4日)初戦で行われた。わずか1週間で実に5試合の王座戦が組まれ、当時、NWA王者コンビが日本の王座に挑むことは異例中の異例だった。本紙は1面で大一番の詳細を報じている。
『1本目は世界王者コンビが猪木にすさまじいアタックをかけて27分、ジュニアがコーナー最上段からニードロップ、ホッジが電撃のローリングクラッチホールドで先制。2本目は怒りの馬場がジュニアと殴り合っている間に、猪木がホッジにコブラツイストを決めてタイに。決勝ラウンドは馬場がジュニアに32文ロケット弾、ジュニアもバックドロップを決めてファンを沸かせたが、ついに時間切れ引き分け。ジュニアの必殺技スピニングトーホールド(回転足首固め)はついに不発に終わった。3度目の防衛に成功した馬場は「彼らの実力は見た通りです。2人ともシングルのチャンピオン。タッグは苦手なはずだが、そこにつけ込めなかったのは、やはり世界の第一人者という意識があったのではないか」と相手の実力を認め、猪木は「足技だけはマークしていたからかわしていた。手探りですすむような試合をしてしまった。おそらく実力の5、6分でやっていただろう。シングル戦ではやれるぞという自信と不安が相半ばしている」と語った。芳の里は「馬場、猪木は世界一だ。安心して見ていられたよ」と語ったが、その言葉を待つまでもなく“BIコンビ”は世界一と太鼓判を押せる。ジュニア、ホッジの世界チャンピオンコンビが勝てなかったことを考えると、馬場、猪木組に勝てるチームは当分出てこないのではないか』(抜粋)
60分の激闘で最強コンビを相手に王座を死守したBI砲だが、同シリーズは過酷を極めた。当時、吉村道明とアジアタッグ王座を保持していた猪木は、わずか3日後の12月1日広島ではドリーと後のNWA王者ハーリー・レイスの挑戦を受け、2―1で勝利した。
翌12月2日大阪では、猪木がドリーのNWAヘビー級王座に挑戦。日本でのNWA戦は実に約12年3か月ぶりで、全国的な話題を呼ぶも、惜しくも60分時間切れ引き分けに終わった。しかしノーフォールの一戦は、猪木本人も自身のベストバウトのひとつに挙げており、今でも伝説の名勝負として語り継がれる。
さらに翌12月3日東京体育館では馬場がドリーに挑戦。21分7秒、後の必殺技となる初公開のフライングネックブリーカードロップで先制するも、2本目は3分47秒に回転足首固めでタイにされ、最後は60分時間切れ引き分けに終わった。タッグとシングルで60分を戦い抜いた馬場、猪木もすごいが、やはりNWA王者ドリーの底力も驚異的だった。
タイトル戦は何と4日連続で行われ、4日札幌ではBI砲がドリー、キラー・オースチン組を挑戦者に迎えてインタータッグ王座4度目の防衛戦に臨んだ。1本目は猪木がドリーの人間風車に沈むも、2本目はコブラツイストでドリーから殊勲のギブアップ奪取。最後は馬場がニードロップでオースチンをKOして4度目の防衛に成功し、ようやく留飲を下げた。
しかし1週間で5王座戦、うち3戦が60分ドローとは何とも過酷な時代だった。いずれも名勝負を展開し、インタータッグ王座4度の戴冠と通算29回の防衛を誇るBI砲にとっては、まさに全盛期であり“蜜月時代”であった。馬場はもちろんのこと「お別れの会」では、改めて猪木の偉大さへの尊敬の念と感謝をささげたい。 (敬称略)













