昨年10月に死去したプロレス界のスーパースター・アントニオ猪木さん(享年79)の「お別れの会」が7日、東京・両国国技館で行われ、プロレス界や各界の著名人、ファンが多数参列して故人をしのんだ。愛弟子の藤波辰爾は万感の思いを込めて、涙ながらに出会いから別れまでの53年間を振り返りつつ「私の永遠の師匠であり、不滅のヒーロー」と追悼の意を表した。

 藤波が猪木と出会ったのは日本プロレスに入門した1970年、16歳の時だった。猪木の付き人を務め、72年の新日本プロレス旗揚げにも参加してから人生を共にしており、まさに親同様の存在だった。

「アントニオ猪木になりたい。本気でそう思いました。あなたに勝ちたくて、超えたくて、大きな背中を追いかけてきました。横浜文化体育館でのあなたとのタイトルマッチはかけがえのない思い出です。ベルトを巻いてもらったことがこの上ない喜びでした(抜粋)」という言葉は魂からの叫びのようでもあった。 

 その横浜のタイトルマッチは88年8月8日に行われた。藤波はこの年の4月に沖縄で“飛龍革命”を宣言。猪木がいつまでもメインに立つことに異を唱え、現状改革を訴えた。同年5月8日にはビッグ・バン・ベイダーとの王座決定戦でIWGPヘビー級王座を奪うや独自の革命を推進し、8月には猪木を挑戦者に迎えてのIWGP戦が実現した。

猪木に掟破りの卍固めを仕掛ける藤波
猪木に掟破りの卍固めを仕掛ける藤波

『藤波はレスラー生命をかけて猪木に引導を渡そうと、全知全能をかけて襲いかかる。34歳とアブラが乗り切った藤波が若さを前面に押し出した。関節をギリギリ締め上げて骨をきしませる。46歳で病み上がりの猪木には辛い戦いだ。足4の字固め、ワキ固め、腕固め、飛龍裸絞めと20~30分も揺さぶられた。バックドロップ、延髄斬りと反撃を試みるもピシャリと藤波に押さえ込まれていく。ストロングスタイルの神髄の攻防。かつて猪木がもっとも得意とした戦法である。猪木を見続けて尊敬し、目標にしてきた藤波にしてみれば当然の策だった。しかし師・猪木は太陽が沈みかけたその瞬間、藤波が想像していた以上の“残り火の闘魂”を見せた。浴びせ蹴り、コーナーポストからのミサイルキック、卍固め。関節技を真っ向から受けて「絞めてみろ!」と挑発する。かと思えば頭突き、ナックルパンチとラフ一辺倒で幻惑した。大死闘60分の中で2人は持てる力と頭脳をフルに使い切った。猪木が卍固め、切り返した藤波がアバラ折り、それを猪木がアバラ折りで返し、1時間が経ってしまった。人間の限界を超えた師弟は放心状態。涙が浮かんでいる。それを見た長州が猪木を肩に担ぎ上げた。偉大なレスラーに自然に敬意を表した姿だった』(抜粋)

 ついに藤波が猪木に肩を並べた瞬間だった。猪木の目には涙。見出しでは「猪木 重大決意 ついに引退か」の文字が躍り、猪木自身も「重大決心は固まっている」と語ったが、引退発表はなかった。しかしこれが猪木にとって最後のIWGP戦となり、翌89年7月には参院選当選を果たして戦いの最前線から退く。それでも藤波にとっては超えられずとも並んだだけで万感の思いだったに違いない。

 藤波は今年12月で実に70歳の誕生日を迎える。5月30日後楽園ではドラディション15周年記念大会も決まった。師とは違う形で、その遺志を背負いつつ猪木の背中を追いかけ続ける。 (敬称略)