2015年11月に引退したミスタープロレスこと天龍源一郎は、約10か月の入院を終え6月22日に退院した。
昨年9月に「突然死のリスクが高い」とされる「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」のために緊急入院し、2月には腎臓から来る敗血症性ショックで緊急手術を行うなど過酷な闘病生活を続けていた。
6月23日付本紙終面では自宅に戻り、6月に新設されたUNタッグ王座のベルトを手に元気な姿を見せてファンを安心させた。
ベルトにはそれぞれ「阿」「呍」の文字が刻まれており、言うまでもなく「阿呍(あ・うん)」とは天龍の盟友である阿修羅・原との「龍原砲」のキャッチフレーズ。しかもUNヘビー級王座は天龍が初めて手にした最も愛着のあるベルトだ。
「ベルトを取った日はうれしくてねえ。リング上で思わず泣いた。家にベルトを持って帰ったのもその時が初めて。女房(故まき代さん)は笑っていたなあ。今でも一番愛着があるベルトだよ。だから天龍プロジェクトでUNのタッグベルトが新設されたと聞いて『一日も早く退院して会場でタイトル戦を見なきゃ』とリハビリの励みになったよ」と語っている。
天龍が初めてUNヘビー級王座を獲得したのが1984年2月23日、蔵前国技館大会。後にNWA世界ヘビー級王者となるリッキー・スティムボートとの王座決定戦だった。
『スティムボートは投げキスをしながら入場。闘志を内に秘めるタイプの天龍は、その態度に無性に腹が立った。「なんだ、あの野郎」。ゴングから1分もたたないうちに怒りは沸点に達した。十八番の延髄斬りを両手でブロックされたのだ。この瞬間、すべてが吹っ切れた。腕、足、首と攻め立てられながら、急降下人間ロケット弾もくらったが、ダメージは少ない。「よしっ」とタックルに行くふりをしてコブラツイストに捕らえた。そこからが速かった。そのまま押し倒して21分13秒、3カウントを奪った。もう“元関取レスラー”とは呼べない。相撲界と決別して8年。天龍はついに悲願のベルトを腰に巻いた。天龍は「やっと一人前のレスラーとして自己主張ができるようになった。相撲では8年かかって関取に、レスラーになって今年で8年目。心に期するものがあった。これで相撲界に恩返しができた」と語った』(抜粋)
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ“第3の男”と呼ばれた天龍が初めて得たベルト。しかしメインでは鶴田がニック・ボックウィンクルを撃破して、初めて日本人としてAWA世界ヘビー級王座を獲得。晴れの日に差をつけられた天龍の反骨心はより激しく燃えるようになった。
86年10月には龍原砲を中心とした天龍同盟で、全日マット改革に着手。鶴田との距離を猛スピードで縮めると、89年6月には鶴田を撃破して3冠ヘビー級王座を獲得し、ついに立場を逆転させ頂点に立った。今思えばUN初戴冠からわずか5年しか経過していないことに驚かされる。3冠王者になっても必ず腰に巻くのはUNのベルトだった。
「俺にとっての青春だったよね。UNのベルトを取ったことで俺自身の中でも明らかに何かが変わったんだ」と天龍は後日語っている。
現在はリハビリに励んで仕事への復帰を目指している。リング上でUNのタッグベルトに刻まれた「阿呍」の文字を見た時、天龍はどんな表情を見せるのだろうか。
(敬称略)















