2015年11月に引退して現在は「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症」と闘病を続けるミスタープロレスこと天龍源一郎(73)が、不世出の名レスラーで昨年10月1日に亡くなった“燃える闘魂”ことアントニオ猪木さん(享年79)に初めて追悼の意を表した。同時に昨年9月30日に亡くなった親友の三遊亭円楽師匠(享年72)にも哀悼の言葉をささげ、21日の内藤哲也戦(東京ドーム)で引退するプロレスリングマスターこと武藤敬司(60)には熱いエールを送った。
――入院して1か月後に円楽師匠が亡くなった
天龍 本当にショックだったね。中学(東京・両国中学校)からの同級生だけど、俺より2歩も3歩も先を行っていた。若い時期は朝まで銀座で飲み明かしてバカばっかりやってさ。本当の意味の戦友だった。ハワイに行ってゴルフもしたり楽しい思い出しかない。実は女房(まき代夫人=昨年6月24日没)が亡くなった時はもう(肺がんで)入院していたんだけど、弟子に内緒で病院を抜け出してこっそり葬儀に来てくれたんだ。後で聞いて「本当に悪いことをしたなあ」と思った。でもその気遣いは励みになったよね。
――そして昨年10月1日には猪木さんが急逝された
天龍 衝撃的だった。団体が違ったから俺なりの猪木さん像しかないけど小さなことにはこだわらない、とんでもないスケールを持った人だったと思う。あの時はさすがに(訃報が)続いたからこたえたよね。
――猪木さんとは一度だけ対戦(1994年1月4日東京ドーム)して勝利。日本人で唯一のジャイアント馬場さん、猪木さんのBI砲からフォールを奪った男になった
天龍 実はあの後、再戦の話があったんだ。でも俺は勝った試合で(意図的に)指を脱臼させられてしまった。当時は俺も若かったから怒って「再戦はできない」って断ったんだよね。まあ、勝ち逃げを決め込んだわけだ(笑い)。普通ならそこで縁が切れるはずなんだけど、ずいぶん後にトークショーのゲストの依頼をしたら快諾してくれた。やっぱりスケールの大きい人だなあと痛感したよ。
――猪木さんは亡くなる直前までユーチューブで闘病中の様子を公表していた
天龍 ちょっとできないよね。見た人は痛々しさを感じたかもしれないけど、今の自分の生きざまをありのままに見せるという、本物のプロレスラーらしさを最後まで全うした。俺はあの映像を見て感動したよ。だからあえて自分が首に器具を装着する姿を公開したんだ。俺も同じように自分の生きざまをありのまま見てほしくてね。ライバルと言うのはおこがましい。とにかく本物のオーラを持った偉大な人だった。しばらくは落ち込んだけど、師匠や猪木さんのぶんも俺が長生きしなければならないという気持ちにさせられたよ。
――ライバルといえば武藤選手が今月、引退する。99年5月3日福岡の試合は東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」ベストバウトを獲得した
天龍 戦前から「ベストバウトを取る」と公言して本当に取れたから痛快だった。でもヒザの手術を繰り返してよくここまで頑張ってきたと思う。もうあんなレスラー出てこないんじゃないか。武藤選手とは何度も戦ったけど間とリズムが合ったんだよね。
――確かに名勝負は多かった
天龍 福岡の試合は俺が観客を驚かせようとトップロープからウラカンラナ決めたんだけど。マットに首から突っ込んじゃったんだよね。痛くてその晩は眠れなかったんだけど、最近になって主治医が「天龍さん、おそらく昔に首を骨折してますよ」と言われた。思い当たるのは、そのウラカンラナしかない。おそらく骨折してたんだろう。病院に行けばよかったな。
――すごい話だ…
天龍 でも武藤選手に責任はない。おれがヘタクソだったのが悪かったんだよ(笑い)。ドームでは華やかに最後を飾ってほしいし、本当にお疲れさまでしたと言いたい。これで昭和のプロレスが本当に終わるんだろうな。でも違った形で新たなスターは絶対出てくる。プロレスという文化は絶対に死なないよ。
――最後にファンにメッセージを
天龍 何か壁に当たった時は、必ず誰かがあなたを見ていると思ってほしい。ギブアップするのは簡単だ。だけど誰かが自分を見てくれているという意識を持てば、ほとんどの苦難は乗り越えられると信じて、歩みを止めないでほしい。俺もそのつもりで必ず元気になりますから、これからも応援よろしくお願いします。















