【武藤敬司の軌跡(21)】 1990年代の前半はグレート・ムタが常に武藤敬司の先を“走る”状況が続いていた。武藤敬司がようやくムタに追いついたのは、95年10月9日、新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦で激突した高田延彦との一戦だろう。

武藤(左)は高田にドラゴンスクリューを仕掛けた(95年10月)
武藤(左)は高田にドラゴンスクリューを仕掛けた(95年10月)

 試合ってレスラーとして“マスターベーション”じゃいけないと思うんだよ。一番重要なのはどれだけ多くの人に影響を与えたかであってさ。その点でこの試合は今でも語られるからな。もしかしたらプロレス史の中で「力道山対木村政彦」「アントニオ猪木対ストロング小林」の次にくるような試合になるのかもしれないじゃん。だから俺にとって欠かせない「トップワンの試合」って言っていいと思う。

 5月に橋本真也を倒して「武藤敬司」として初のIWGPヘビー級のベルトを取り、8月にG1クライマックスを初優勝して上り調子だった。それでも、気持ちは一兵卒というか。俺は日米を行き来していたから、アウトロー的な感覚を持っていたんだよ。個を追求していたし、実際、レスラーってそれでいいんだけど、あの試合に関しては初めて新日本を背負った感じがしたよね。

高田(右)のキックを受ける武藤(95年10月)
高田(右)のキックを受ける武藤(95年10月)

 俺自身も高田戦が転換点になった。ドラゴンスクリューと足4の字を使って、試合の中身で魅せていく感じになったよね。偶然の産物だったけど、その後助かったよ。ムーンサルトだけじゃなくなったからな。ああいう流れのプロレスをつくったというか、今は多くのレスラーがそれをマネて構成しているよね。リック・フレアーの影響? 若いころは毎日のように足4の字をされていたから。フレアーも足4の字で構成しているわけだから。それを俺なりのやり方にしたんだよ。

 でも、この試合って東スポのプロレス大賞でベストバウトを取ってないんだよ。試合から帰ってきたら(アントニオ)猪木さんにも怒られた。「なんだこれは!!」って。猪木さんは、この大会の第1試合(※1)みたいにゴツゴツした試合を求めていたみたいでさ。どうすりゃよかったか? わかんないよ、そんなもの(笑い)。

 猪木さん的には、俺が入場の時に花道でポーズを取ったのが気に入らなかったみたいでさ。猪木さんには怒られてばっかりだったよ。最後にマスターズに呼んだ時(※2)もすげえ怒られてな。

「勝手にデビュー60年なんてつけやがって!」ってさ。最後まで怒られっぱなしだったよ。

※1 石沢常光、永田裕志組VS金原弘光、桜庭和志組。両団体の若手タッグが激しく激突した。

※2 武藤がプロデュースする「プロレスリング・マスターズ」2020年2月28日の後楽園大会で「燃える闘魂60周年メモリアルスペシャルタッグマッチ」とメモリアルセレモニーが行われた。

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