【武藤敬司の軌跡(11)】初めての米フロリダ遠征を終えて、帰国したのが1986年10月だった。会社(新日本プロレス)もそれなりに気を使ってくれたよ。「スペース・ローン・ウルフ」って肩書でヘルメットを用意したり「610」って刺しゅうされたジャンパーを作ってくれたり、藤波辰爾さんとの2連戦を組んでくれたりね。

 気持ち的には失うものもないし、会社にあてがわれたレールに乗っているって感じだった。今、当時の映像を見てもすごくいい試合をしていると思うよ。でも、お客の反応は鈍いように感じていた。というか、新日本自体どんよりしていた気がするよ。考え方の“異分子”が入っていたからさ。それがUWFだ。

凱旋帰国した武藤(86年10月)
凱旋帰国した武藤(86年10月)

 当時はその思想のプロレスが大人気で、筆頭が前田日明さん、そこに高田延彦さん、山崎一夫さんとかがいて。1回出て行った選手たちが新日本に戻ってきていたんだ。でも、俺はその主張が好きじゃなくてね。「ロープに飛ばない」とか、今さらアマチュアイズムの方に動こうとしたからさ。俺は米国でいろんなプロレスを見て、月面水爆(ムーンサルトプレス)を武器にやってるわけだからさ。主張が正反対だったんだよ。

 その延長にあったのが1987年1月に起きた熊本の“旅館破壊事件”だね。ずっと新日本とUWFから出戻った選手同士の思想がぶつかり合っていて、坂口征二さんとかアントニオ猪木さんが「このままだと危険すぎる」ってことで、ちゃんこパーティーでお互いのコミュニケーションを取ることになったんだ。

 ところがそこで、俺も酔っぱらって前田さんに「あんたのプロレスはつまんねえ」とか言っちゃってさ。でも、ケンカとは違うんだよ。前田さんから「殴りっこをしよう。じゃんけんで勝った方が負けた方を殴ろう」って言われてやったんだけど、酔っぱらってるから全部後出しされて俺が負け続けて、一方的に殴られた。そしたら高田さんが怒って、俺に「やり返せ」って言い出してさ。あとはまあ…、皆さんの知る通りですよ。

 俺もかなり感情的になってたんだ。根本的な主義主張が違ったから。でも感情的になってたのは俺だけじゃない。いろんな人がいろんな感情を持っていたからさ。だからやっぱりあれは、ケンカってことではなくて「コミュニケーションを取るための“ちゃんこパーティー”」でしょ。ただ、みんなが若かったんだよ(苦笑い)。

 で、この事件の直後だな。俺はいったんマットを離れて貴重な体験をすることになる。それは…。

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